ヨーロッパへの憧憬 辻邦生「ある生涯の七つの場所」

半年かけて、ゆっくり一語一語味わいながら読んできた辻邦生の連作短編集
「ある生涯の七つの場所」を読み終わりました。 読み終わりたくない…
ひさびさにそう思えた幸福な読書時間でした。 10年以上前に読みかけて
挫折したのが不思議。 20代の頃はもっと起伏に富んだストーリーのある
小説が好きだったのかな。

5.10七つの場所

全100編の短編小説が、文庫では7冊に分けて収録されています。
第1巻 霧の聖(サント)マリ
第2巻 夏の海の色
第3巻 雪崩のくる日
第4巻 人形(プッペン)クリニック
第5巻 国境の白い山
第6巻 椎の木のほとり
第7巻 神々の愛でし海

時間も場所も隔てられた、一見無関係な3人の男性の人生が断片的に語られる
ため、最初の2巻くらいはストーリーの展開がはっきりとつかめません
(こんな風に感じるのは、勘が悪いワタシだけかも?)。 昔読んだときは
そういうところがまどろっこしくて途中で飽きてしまったのでしょう。
5巻目に以前愛用していた栞がはさんでありましたが、全体の内容をまるで
覚えていませんでした。

昭和初期に日本人社会主義者の足跡を異境でたどる日本人、父の不在と
母の病のために孤独な日々を送る少年、魅惑的なフランス人女性との恋愛に
悩むヨーロッパ在住の日本人。 そのエピソードの間には、フランスや
スペインで自らの信じる正義を前に苦悩する、さまざまな人物の人生の一瞬を
切りとった短編が挿入されていて、複雑に入り組んだ構造になっています。
日本、アメリカ、ヨーロッパ各地を舞台に展開する断片的な物語から、
フランス人民戦線やスペイン内戦を背景とする現代史がゆるやかに目の前に
立ち現れてきます。 5巻目あたりから、ずっと前に登場した人物の後日談が
語られてきて、少しずつ全体が見通せるようになってきますが、記憶力が
非常に悪いので「あれ…この名前、前に出てきたような。どこで出てきたっけ?」
と、エピソードが明解にはなりません(←あくまでワタシの場合ですけど)。
でも、辻邦生はそういう効果を狙っていたのかもしれません。 無名の群像が
大きな歴史のうねりを織り上げている、という視点も主題のひとつなのでは
ないかと思います。 細かいエピソードを忘れてしまっても、それでこの
連作の味わいが落ちることはありません。

起承転結がはっきりした小説が好きな人にとっては退屈かもしれませんが、
辻邦生独特の美しい日本語が、天から舞い降りてくる雪の結晶のように
キラキラと光りながら身を包む心地よさに、今回は浸りきりました。
現代の文学においては「装飾的すぎる」「形容詞が過剰」と言われかねない
文体ですが、ワタシはほんとうに好きです。 特に素敵なのはヨーロッパの
風景描写。 同じ文章を2回も3回も読み直すこともたびたびでした。
ヨーロッパの秋の舗道に舞い散る黄葉や、アルプスの淡い灰色の山塊、
輝くばかりの草原に咲くヒナゲシの赤…懐かしいヨーロッパの光景が
目の前に広がっていくのをじっくり楽しみました。
アメリカ的な成功を求める生き方よりも、ヨーロッパ的な静かな暮らしに
人生の深みを感じる人なら共感できる小説世界です。

これを読み終わってしまって、さて次は何を読んだらいいのかしら?
しばらく途方に暮れそう。

5.10わすれな草

小さな小さなわすれな草が庭のあちこちで咲いています。 こんな愛らしい
花を集めてブローチにしたい。

両親が午後から出かけて、ひさしぶりにひとり暮らし気分でのんびり。
Theme: 読書メモ | Genre: 本・雑誌
Category: 辻邦生

ヨーロッパへの憧憬 辻邦生「霧の聖マリ」

ドイツから帰ってきて、ひさしぶりに本棚から引っぱり出して読んでいるのが
辻邦生の連作「ある生涯の七つの場所」。 文庫本が日に焼けてセピア色に
なるほど昔に読んだのですが、全6巻を読み通した記憶はありません。
途中で退屈になったのだったかしら…。
ただ、小説の舞台であるヨーロッパの風景描写に、心ひかれたことを覚えています。
特にオーストリアの山の風景が目に浮かぶように美しく表現されていたことが
強く心に残っていて、南ドイツでアルプスを遠望した後、もう一度読んで
みたくなったのです。

小説としては、時代も場所も違う人生の断片が交互に語られるため、
初めは全体像がつかめず(つかめなくていいんでしょうが)グイグイと
引きこまれるということはありません。 語られるエピソードも、いま読むと
ちょっとセンチメンタルすぎるかな、というくらい女性はみんな美しくて
はかない存在として描かれていて、類型的すぎる気もします。 それでも、
そういうマイナスを差し引いてもなお、言葉で情景を描く手腕にウットリ。
こういう繊細な日本語を書く小説家に、近頃めったに出会えなくなったのが
とても残念です。

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ようやく1巻の「霧の聖マリ」を読み終わりました。 今回は最後の6巻まで
読めるかな。 今日は旅のエッセイ本に浮気してしまって(笑)、
全巻読み終わるまでは、まだまだ先が長そうな予感。
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