喪失の物語 梨木香歩「海うそ」

眠りに落ちるまでのベッドタイム、毎晩ゆっくりゆっくり時間をかけて梨木香歩の「海うそ」を読み終わりました。 特に読みにくい本ではありませんし、長編といってもさほど長くもないのですが。

ストーリーを追うよりも、ゆっくり味わい、言葉を反芻し、頭の中で架空の島に流れる空気や湿度を感じ、植物が繁茂する風景を思い浮かべながら読む小説だと感じました。

4.30海うそ

舞台は鹿児島の(たぶん)南に浮かぶ架空の小島、遅島。 昭和初期、人文地理学の研究者である主人公は恩師の調査記録に興味をもち、遅島に滞在して、歴史や民俗、伝承、植物や地質を探査する。 胸の奥に深い喪失感を抱えた主人公は、遅島内に残る、廃仏毀釈によって暴力的に排除されてしまった修験道の寺院の痕跡を巡りつつ、何かが決定的に失われてしまった風景に自らの思いを重ねていく。 そして50年後、不思議な縁に導かれて再び島を訪れた主人公が目にしたのは…。

最後のページを読み終わって本を閉じたとき、書店でこの本を手にしてよかったとしみじみ思いました。 いろいろなことが重層的に描かれていて、スッキリしたカタルシスがあるような種類の小説ではありませんが、読み終わった後にじわじわと心の奥底にしみました。 東日本大震災後の心にぽっかり穴が空いたような喪失感について、きっと考えて考えて考えた末に、これが梨木さんなりの答えなんだろうなと受け止めました。

読後に心に浮かんだのは「さよならだけが人生だ」という言葉。 この言葉、そして出典元の漢詩「勧酒」が意味するのは人生を否定するものではない、改めてそう思いました。 大切な人、愛着のあるもの、心のよりどころになる場所、思い出の風景、人生のひとときを一緒に過ごしたのにいつのまにか会わなくなった友人や知人たち、そして健康や乳房といった身体のパーツ…。 人はいろんなものを失いながら生きている。 それは否定すべきことでも、目をそらすべきことでも、乗り越えるべきものでもない。 生きるということは本来そういうもの。 諦観とはまた違って、静かに「そういうもの」と知ること。 この小説の最後の最後にでてきたひと言にハッとしました。 あえて引用はしません。 興味をもった方は自分で読んでみつけてください。 でも、もしかしたら、まだあまりたくさんのものを失っていない若い人にはピンとこないかもしれません。

書店の店頭でなんの予備知識もなしに、この本に出会えてよかった。 梨木さん、ありがとう。 また、いつか読み直してみたいです。 そのときはどんな風に感じるだろう。

喪失感がテーマでありながらも、決してビターではないし、ニヒリズムに堕すこともない。 絶望でもない。 かといって前向きに生きていきましょう!といったメッセージでも、もちろんありません。 梨木さんらしさが詰まった小説世界。 梨木さんが好きという方はぜひ。


4.30狸谷

読み終わったのは4月末。 読了直後にたまたま行った狸谷山不動院で、小説の舞台を想起させるような雰囲気があるなあともろもろ胸に去来するものがあったので、古い写真ですがアップ。

4.30狸谷入口

山すその境内全体を包む神仏混淆の余韻。 山伏もいて。 日本における古い仏教=真言宗だからかな?



解体工事のすさまじい粉塵は窓を全部締め切っていても家の中にも漂い、空気が悪くて耐えられません。 家にいたくない…のに、光回線導入が思いがけず、いろいろ面倒なことになって、今日は工務店さん&電気屋さんと打ち合わせ。 路地奥の古い家って面倒くさいことがいっぱい! はぁ、ADSL打ち切りの6月末日までに無事に開通するんだろうか(ドキドキ)。

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まさに身辺雑記 梨木香歩「不思議な羅針盤」

読書ネタは本当にひさびさ。 ぽつりぽつりと読んではいるんですが、なかなか感想を書けずじまいになっています。 勢い(?)をつけようと、まずは大好きな梨木香歩さんのエッセイ「不思議な羅針盤」の感想を。

3.24不思議な羅針盤

2007年から2009年に雑誌「ミセス」に掲載された梨木さんのエッセイ28本を収録した文庫本。 取りあげられているテーマは梨木さんらしい植物や生物について、あるいは社会情勢への危惧感、ふだんの生活から想起されたことなど、ジャンルも方向性もさまざま。 初エッセイ集(…かな?)「春になったら苺を摘みに」のような、きまじめな濃密さは薄くて、いわゆる「身辺雑記」といった感じ。 梨木ファンなら、著者のふだんの生活がかいま見えて十分に楽しめると思います。 病院の待合室で読むのにちょうどいいくらいのゆるさでした。

梨木さんはいいなあ。 自然へのまなざしがとてもステキだ。 そして、フラットというかニュートラルというか、何事も並列というか、例えば大人と子ども、人間と動物や植物…全部同じ価値をもつものとして接している梨木さん独特の繊細な距離感がとても好きです。 非常にまじめで、しっかり芯が通っていて、いわば正論を吐いているんだけれども、まったくお説教くさくならないのは、その柔らかなお人柄の故なんだなあ。 そして、そんな梨木さんが多くの読者を獲得していることにホッとしたりもして。

それにしても、行動力があるんだなあと、エッセイを読むたびに感心してしまう。 自分で車を運転して遠方へでも、人里離れた山の中へでも、どんどん興味の対象へ向かっていく人なんですね。 彼女が書いている小説から感じられるよりも、ずっとずっと行動的。 そして、いつも思うのは、エッセイに家族の気配がないこと。 意識して書かないんだろうけど、ここまで徹底している人は珍しい。  この本の中でも子どもがいることが一度だけさらっと出てくるけれど、「お母さん」であることを振りかざすようなところが一切ない。 潔いくらいに、まったく。 こういうスタンスも、女性作家としてはとても珍しくて好ましい。

初めて梨木さんのエッセイを読む人なら「春になったら苺を摘みに」か「水辺にて」の方が方向性にまとまりがあっていいかもしれません。 1編のエッセイの中でも、話がスライドしたりして、起承転結的な構成ではないからなのか、実は読んだとたんに細かい内容をケロッと忘れてしまっていて、本としてはあまり深い印象が残っていないのです。 


3.24貝母

クチナシの木の傍らで、今年も貝母(バイモ)がうつむくように花を咲かせています。 風にゆらゆら揺れる、はかなげな風情の草でありながら、意外に倒れたりしない。 何かにつかまりたそうにクルンと先端の葉を伸ばしている姿もいじらしい。 地味だけれど、独特の存在感があって好きです。

梨木さんが集合住宅の敷地内で、草の中に貝母(バイモ)の花をみつけたという冒頭の1編を読みながら、草むらにしゃがみこんで「ようこそ、ようこそ」と貝母の花に話しかけている姿が目に浮かぶようで(実際にはお顔も知りませんが)。 私もつい植物や小鳥に声にだして話しかけてしまうので、さらに親近感が湧きました。

今日はストレッチで心身を気持ちよくほぐしてきました。 そろそろ梨木さんの「海うそ」を抱えてベッドへ。


■いろいろな記事に拍手をありがとうございます! バセドウも落ち着いてきたようで、この3日ほどは本当にひさびさに「普通に元気」と実感できるようになりました。
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陽射しや風を感じさせる詩のようなエッセイ 梨木香歩「水辺にて」

梨木香歩のエッセイ「水辺にて」。 これほど読み終わるのが惜しいと感じる本に出会ったのは、本当にひさしぶりです。




単行本のときから気になって何度も手にとりながら、なかなか買わなかったのは、カヤックでの川下りという行為にまったく興味がもてなかったから。 「梨木さんって意外にアウトドアなんだ」(自分が結構アウトドアというか山好きなくせに)と勝手に決めつけ、ちょっとついていけないかも…なんて思っていました。 ところが読んでみると、カヤックに乗った梨木さんは、いわゆるアウトドア系の人とはまるで違う世界に浸って、予想していたのとはまるで違う風景を眺めていたのでした。

もう一つ、梨木さんの小説を読んでいて「この人って本当に真面目な人なんだろうな」とたびたび感じていたので(「西の魔女が死んだ」とか「村田エフェンディ滞土録」は特に)、そんな真面目な人のエッセイってますます生真面目でついていけないんじゃないか、なんて思っていたんです。 しかし、ひょっとしたら小説よりもエッセイの方が著者は自由に心を泳がせられるのかもしれません。 先入観をもたずに、もっと早く読めばよかったと思う一方で、いまの私だから一層深く心に響いたのかもしれないとも思えます。

3.13ミヤマカタバミ

梨木さんらしい世界観、自然と人間の関係のとらえ方、いまは消えてしまった村や人たちの営みへの想像力、そして森や風・雪の匂い、生き物のひそやかな気配、陽射しの温もりを切りとる言葉のすばらしさ。 繊細な自然描写を読むだけで、たっぷりと深い森で深呼吸したようなみずみずしさが身体の細胞の一つ一つに染みこんでいくようでした。 ああ、好きだ、大好きだ、こんな文章! 最近めったに巡りあえないような文学的な表現にうっとり。 

冒頭でスウィフト「ウォーターランド」とその舞台が登場したり、私の大好きな星野道夫に触れていたりして、「おお、梨木さんとはやっぱり趣味が合うな」などと偉そうにニンマリ(何様だ、私は)。 また、水面の下に広がる世界へと傾斜していく心の動きなど、「家守綺譚」「冬虫夏草」「沼地のある森を抜けて」「f植物園の巣穴」とつながる著者独特の感性がかいま見えるのも、梨木ファンの読者にとっては興味深いところ。

と、また長文ダラダラ書いてしまいました。 でも、梨木さんもなんでも文字化しようとしてどんどん長くなっていく傾向らしく、一方的に親近感を抱いてしまいました。 そうそう書き始めると、あれもこれも書きたくなるんですよね(笑)。


わが家の庭で、今年もミヤマカタバミが咲いてくれました。 小さな小さな白い花が陽射しを浴びると薄い花びらを広げる。 その健気さが毎年みても、しみじみ愛おしくて、ひざまずいてまじまじ見入ってしまいます。 梨木さんだったら、森の中を歩きながらも、こういう小さな花を足元にパッとみつけるんだろうな。 梨木さんと一緒に森を歩いてみたいなあ。


3.31サンシュウユ

サンシュウユももうあとひと息で咲きそう。


■いろいろな記事に拍手をありがとうございます。
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夢かうつつか幻か 梨木香歩「f植物園の巣穴」

数ヶ月前に買って温存していた梨木香歩「f植物園の巣穴」を、ついに紐解きました。 表紙の秋海棠のイメージから、読むなら初秋の頃がいいと漠然と考えていたんです。 いま、わが家でも秋海棠がかわいらしく楚々とうつむき加減に咲いています。

9.26f植物園

f植物園の園丁が歯痛に耐えきれず、勤め先の近所の歯医者にかけこんだところから、少しずつ現実の世界からずれていくような感覚にとらわれていきます。 歯医者の言っていることは微妙にヘンだし、歯医者の奥さんがときどき犬の姿になってしまったり、職場の周囲の風景がいつもと少し違って見えてきたり、戸惑っているうちに植物園の巨木の洞に落ちてしまったような気もするのだが、記憶がだんだん混濁してきて…。

梨木香歩の「家守綺譚」が大大大好きなもので、ものすごく期待して読みました。 だって、表紙の美しい装丁も、帯に書いてある惹句も、いかにも「家守綺譚」の世界なんですもの。 でも、あの独特の「のほほん」としたような、ゆっくりした時が流れるような世界観とは違う作品で、読んでいる間は心中で「?」「!」の連続。 物語世界にどっぷり浸かって「ああ、読んで幸せ~」とつぶやくような甘い感じはまったくないんですよ。 とはいっても「家守」とまったく同じだったら、それはそれでがっかりするんですけどね。 ワタシの正直な感想は、「家守」を越えるものではなかった…。 期待しすぎると、ややガッカリかもしれません。

夢かうつつか幻なのか判然としないまま、どんどん主人公の心と記憶の奥深くへと降りていく非常に感覚な文章が延々と続きます。 読みながらも「いったいどこへ連れて行かれるのか?」という思いが何度も胸をよぎりました。 着地点は思いがけないところだったけれど、著者のメッセージがしっかり読者に届く、梨木さんらしい結末でした。 読み終わった後は、忘れてしまったこと、そして忘れてしまいたかったことと対峙することになった主人公と一緒に、長いようで一瞬だったような異次元の旅を終えた気分。 直後は、なんか物足りないなあ…と感じたのですが、なんともいえない余韻を残す小説でした。 とにかく、ほかの何ものとも違う世界を梨木さんは目指しているんですねえ。 すごいチャレンジャー魂だわ。


9.26初秋の庭

老婆心ですが、読もうと思っている人はAmazonのレビューを読まない方がいいですよ。 完全にネタバレしているのがありましたから。 ネタに寄りかかった作品ではないけれど、「どこへ連れて行くの~ッ!」という不安感みたいなものも、この小説の醍醐味のひとつだと思うので。

そろそろ歯医者さんに行かなくてはいけないと前から思ってたんですが、歯医者さんで口を開けてるときに薄目を開けたら、助手の手がいつのまにか犬の足になってたりして…(笑)。 さらに、題名の植物園の名前については作中で何も触れられていないのですが、ワタシの歯医者さんは府立植物園のそば。 「f植物園」ですよ。 ひょっとして、あの植物園をイメージして書いたの?? あの近くには深泥池という沼っぽい地質的にも非常に古い池があるしなあ。


今日の写真は珍しくひきぎみに撮ってみました。 杜鵑(ホトトギス)がいっせいに咲き始めたのでパチリ。 アカマンマやゲンノショウコもそのままで、うちの庭はすっかり野草園です。

■Tさんは「ボローニャ絵本展」をみられたんですね。 いいなあ。 毎年、「今年こそみにいきたい」と思いながら、なかなか行けなくて。 来年こそは!
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ぬか床から始まる壮大な話 梨木香歩「沼地のある森を抜けて」

梨木香歩は「家守綺譚」が大好きだけど、「西の魔女が死んだ」は好みではなくて、梨木香歩なら何でもOKというわけではないワタシ。 梨木香歩の本は、本屋さんで手にとってジーッと眺めて好きな匂いがしているかどうか、嗅覚を全開にして判断します。

で、「沼地のある森を抜けて」はですね、嗅覚的にOUTだったんです。 だって、ぬか床をめぐる物語なんですよ。 好き嫌いがほとんどないワタシの2大苦手食物=ぬか漬け&納豆。 無理です、ぬか臭い話なんて、納豆屋繁盛記(そんなのあるのか?)と同じくらい体質的に受けつけられません。 ところが、リンクさせてもらっている「P&M Blog」のpiaaさんが大絶賛されていて、むむむ…。 それならばと読む気になったのに、本屋さんで探してもなぜだかみつからず、ようやく入手できて、やっと読めました。 ああ…なんかね、すごいお話で読後もしばしボーッと放心。 この話、いったいなんと紹介したらいいのか、うまく言葉がみつかりません。

9.18沼地のある森を

両親を学生時代に失った久美は、会社の研究室に勤める独身女性(たぶんほどほど妙齢)。 急死した独身の叔母が遺したマンションとともに、謎めいた祖先伝来のぬか床を受け継ぐことに。 ところが、このぬか床からうめき声が聞こえてきたり、卵のようなものが湧きだしてきたり、ついにはぬか床の卵から人のようなものが出現してきて…。 不思議な運命の糸にたぐられるようにして、叔母の知り合い・風野さんとともに先祖の出身地である島へと向かった久美を待っていたのは…。

ものすごく変わった小説でした。 あらすじを書くとホラーみたいですが、別に怖い話ではありません。 SF的な純文学とでもいえばいいのでしょうか。 生命とは?自己と他者を隔てるものは?死とは?といった問いに対して、哲学もジェンダー論も生物学的生命論も含めた壮大なスケールで梨木香歩は自分なりの答えをブンガクとして提示しようとした…のかな(苦笑)←この小説をちゃんと読めたか自信なし。

9.13シソ白

正直な感想としては、物語世界をちょっと大きく広げすぎたんじゃないか、という気がします。 小説として描くには壮大すぎることに挑戦して、破綻する一歩手前って感じを受けました。 最初の章「フリオのために」は、あり得ないことが目の前で起きて驚きながらも「ま、しかたないか」とわりとあっさり受け入れてしまう主人公のあり方が結構ワタシ好みなんだけど(初期の川上弘美の「神様」「椰子椰子」に似ていて)、その後はだんだん小説のテイストが微妙に変わってしまった。 もっとあっけらかんと不思議なことが不思議でない世界へ連れて行ってくれるのかと思ったんだけど、その後に展開したのは予想したのとはぜんぜん違う世界でした。 途中に挟まれる主人公とはまったく別世界の「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」もなんとはなしに、小説全体にしっくりとけこんでいないような、未消化な感じがしました(それでも、シマの物語のクライマックスとなる「死」の描写は感動的!)。

物語の神話的なラストは、すべての始まりであるような終わりであるような永遠のような、細胞の話であるような宇宙創造の話であるような。 まさに「エロスとタナトス」!(さっきみていたTV番組で池澤夏樹が語っていた言葉の受け売り) でも結局、「家守綺譚」に感じたような「圧倒的な共感」というものは「沼地のある森を抜けて」には抱けませんでした。 ま、大嫌いなぬかの匂いに包まれたお話ですからね、所詮無理でした。 それにしても、細胞分裂による増殖から、ほかの細胞との合体による増殖へと移り変わる最初の瞬間って、どんなだったんだろうと、その問いかけがとても心に残りました。

ところで、「家守綺譚」は、「沼地のある森を抜けて」を書いていてとても精神的にたいへんだったときに、まかない食のような感じで軽く書いたものだったそうです。 肩の力が抜けている分だけ、素直に軽く、それでいながらなかなかに深遠なことが書けたのかもしれませんね。


わが家の庭では、雑草と化しているシソが白い花をつけています。 野生化してしまってから、葉っぱはえぐみがあって食用に適さないんだけど、花はどうかなあ。 花が咲いているうちにお刺身を買ってきて、一度は添えて食べてみよ。
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友よ!青春よ! 梨木香歩「村田エフェンディ滞土録」

小説を読むと仕事に支障をきたすと思って、このところずっと小説を読むのを我慢していました。 でも、たまたま本屋さんで梨木香歩の「村田エフェンディ滞土録(たいとろく)」をみつけて買ってしまい、ついに我慢しきれず…読んじゃいました。 ああ、やっぱり「物語」が好きなんだわと実感いたしました。 心に栄養=読書が必要な体質なんだなあ、ワタシは。 仕事を放置しない範囲内で、本もじゃんじゃん読んじゃおっと。

6.6村田

この本は大好きな「家守綺譚(いえもりきたん)」とリンクする部分がある、いわば姉妹編です。 「家守綺譚」の中で、主人公である駆け出しの物書き・綿貫くんが、土耳古(トルコ)にいる友だち・村田くん(=「村田エフェンディ滞土録」主人公)の留学生活に思いをはせるシーンがあって、ずっと気になっていたんです。 文庫本化されたので早速買いました。 「西の魔女が死んだ」は個人的にはいまひとつだったので、梨木香歩はまずは文庫からということで。

「家守綺譚」は雨に降りこめられた日の薄暗くて、でもしっとりとした情緒が全編に漂っていて、文体も背景も日本らしさがあふれていたのですが、この本は舞台がトルコなので文体も背景も全然違っていました(当然ですが)。 そのため、「家守綺譚」の世界をそのまま期待して読みはじめると、ちょっと違います。 淡々とした「家守綺譚」の世界にくらべると、コチラは出だしはイスタンブールの下宿屋での細々した日常を描きながらも、最後は「友よ!青春よ!」と、なかなか熱いです。 「西の魔女が死んだ」では泣けなかったワタシでも、この本のラストでは泣きました。 でも…それでも、ワタシは「家守綺譚」の方が好き。 梨木さんの真っ当なメッセージはワタシにはちょっとストレートすぎて…。 もう少し抑制がきいていたり、ほんの少し毒を含んでいる方がワタシは好きみたいです。

村田がイスタンブールの下宿屋で出会ったギリシア人やドイツ人の留学生、小間使いのトルコ人、そして下宿屋を営むイギリス人女性。 たいした事件も起こらず、ささやかな日常が積み重ねられていきます。 下宿屋の人々と交流して過ごした、そのささやかで平穏な日々こそが何よりもかけがえのないものであったことに気づくのはずっと後になってから。 「家守綺譚」では犬のゴローがいい味を出していましたが、この本では意地悪なオウムが狂言回しになっていて、それがとてもステキで悲しかった。 梨木香歩は動物や植物へのまなざしがとても温かな人ですね。 人間的にとてもいい人なんだろうなあ、と思います。

この本が感覚的にぴたっと来なかったのは、もしかしたらワタシがギリシア古代史を勉強して、ギリシアやトルコの遺跡を旅したことがあったからかもしれません。 遺跡に立ったときの高揚感など、自分の経験と近すぎて、かえってちょっとした違いが気になったのかも。 そういう思い入れがない方が素直にこの本の物語世界に入り込めたように思えました。 個人的にはチラッと出てきた綿貫くんが、やっぱり自分に重なってみえました(笑) それにしても、この本の謝辞の相手がご近所の方で、う~む、やっぱり梨木香歩さんの生活圏ってすごく近いような気が…。


6.6スカシユリ

パッチリ咲いたスカシユリは、日が照っていないときでも発光しているみたいに鮮やかです。 見ているだけで気持ちが晴れ晴れします。

fc2のblog9はこのところ、ずっと重くて画像のアップどころか、自分のブログの管理画面へのログインやログアウトもままなりません(怒)。 いつも夜がダメだから、朝にアップしようとしてもやっぱりダメ。 書くネタはあっても書き込みができずイライラします。 fc2、大丈夫なんだろうか…かなり不安。
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読み終わりたくなかった本 梨木香歩「家守綺譚」

梨木香歩は以前に「西の魔女が死んだ」を読んだのですが、いまひとつ好みに
合わず、「この人はもういいかな」と思っておりました。 単行本で「家守綺譚
(いえもりきたん)」が出たときは少し気になりましたが、買うところまでは
いかず。 最近、文庫本化されたので、ついに手にとりました。 読み終わって
ああ、もっと早く読めばよかったと後悔。 ずーっと読み続けていたい、と
本気で思ってしまうほど素敵な世界でした。

10.12家守綺譚

亡くなった親友の実家を預かることになった物書きの卵=綿貫征四郎が、
庭の植物や迷い犬、タヌキ、異界から時々ふっと戻ってくる親友などと、
ごく自然に交流をしながら過ごす日々…う~む、こう説明するとなんか陳腐
なんですけど、ほんとうにとってもとっても繊細な日本の四季と日本語に
くるまれて、心地よくたゆたう感覚に全身でどっぷり浸りました。 ちょっと
古めかしくて端正な日本語が、明治か大正頃らしき少し前の時代の雰囲気を
醸し出していて、でも某芥川賞作家の擬古体(でしたっけ?)のような
嫌らしいこむずかしさとは無縁の、不思議な均衡を保っている文体も素敵です。

遊びに来ていた従妹に「いま、これを読んでるんだけどおもしろいよお」と
見せたら、目次を眺めて従妹は一言「vogelちゃん、好きそうだねえ。目次に
並んでいる植物の名前を見ただけで分かるわ」。 そう指摘されるまで気が
つかなかったけど、そういえば章のタイトルとなっている植物の半分以上、
ウチに庭にあるんですよね。 サルスベリ、都わすれ、ドクダミ、白木蓮
(ウチのは白じゃないけど)、木槿(ムクゲ)、紅葉(植物名じゃないが)、
ススキ、ホトトギス、野菊、サザンカ、リュウノヒゲ、南天、ふきのとう、
貝母(ばいも)、山椒、桜。 ブログにもたびたび登場している植物ばかり。

10.14ホトトギス

いま庭では、繁茂したホトトギスがいっぱい咲いています。 昔はあんまり
好きじゃなかったけど、和の花の趣が少しずつ分かる年齢になってきたみたい。
野草っぽい風情が、立派な花を咲かせる園芸品種の美々しさとひと味違って
好ましく思えるようになりました。 庭に出て季節の花を眺めて写真を撮る、
あとは家でこつこつ仕事…あれ、主人公の綿貫征四郎の生活とほとんど
同じじゃないの? ひょっとしてワタシの物語なのでは…なんて、あつかまし
すぎるでしょうか(笑) 普通の人はこの本の世界に「失われてしまった
古き良き時代」を感じるようですが、そのまんま生きてる人もいます、ここに。
庭にゴローさえいたら完璧なのになあ。 犬のゴローがまたいいんですよ。
犬好きにはたまりません。 ゴローみたいな雑種犬(たぶん)がほしいなあ。

実は舞台になっている京都の山科、疎水の近くに祖母の家があったので、
疎水べりや毘沙門堂あたりを歩いている感じとか、夜汽車の汽笛が遠くに
聞こえる感じとか、タヌキがお参りに行った狸谷不動尊(ウチの近所)とか
個人的な思い入れも強いです。 あまりにも気に入ったので単行本も入手
するつもり。 これから何度も何度も読み返したくなると思います。

静かな秋の夜、あるいは雨に降りこめられた薄暗い日に一編ずつゆっくり
味わいながら読んでいきたい本です。 しばらく、現実の世界に戻って来たく
なくなるかもしれません。
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