どうしてそんなに勉強が嫌いなのか 内田樹「下流志向」

本屋さんで気になって何度も手にとりながら、なかなか買わなかった文庫本「下流志向」。 内田樹の本は2冊読んで「確かにおもしろいけど、だからどうなの?」という中途半端な読後感で、飛びついて買うというほどひかれもせず。 おもしろいのかなあと半信半疑で買ったのですが、読書がすすまない近頃には珍しく一気読みしました。 先に、父に「読む気ある?」とみせたら、父もあっというま読了。

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)
(2009/07/15)
内田 樹

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「どうしてそこまで勉強がキライなのか?」 姪たちをみていてずっと不思議でしょうがなかったんです。 長年の深い謎がとけて、「腑に落ちる」とはこういうことかと思うくらい納得しました。 といっても、勉強嫌いを直す方法とか、ニートやひきこもりの解決法はいっさい書かれていません。 そういう問題のハウツー本として期待してはいけません。 あくまでも教育と子どもがどうなっているのか、現状と原因を指摘しているだけです。

私自身、けっして勤勉な学生ではありませんでした。 でも、姪たちほど「学ぶということすべてを拒絶する」という姿勢は理解できなくて。 だって、嫌いだったり苦手な教科があるとしても、ひとつくらい好きな教科ってあるはずでしょ。 勉強じゃなくても、音楽とか絵とか、本を読むとか、手芸とか料理とかスポーツとか。 特にうまくできるわけではなくても、それやってると楽しい、時間を忘れるってこと、誰にだってひとつくらいあるものだと思っていました。 それがなにもないなんて…。 自由に好きなように生きているといわれても、ちっとも楽しそうにみえないんだけど。 姪たちは何かというと「自己責任」っていうことば、振り回すんですよねえ(ため息)。 

「消費者」として学校教育に対峙する子ども、「自己責任」という言葉で自らを社会からも家族からも「孤立した存在」に追いやっていること(本人は「自立している」つもりだけど=姪たちそのもの!)、不機嫌合戦と化した家庭、過去や未来をまったく考慮に入れない時間に対する感覚などなど、目からウロコの切り口多数でした。 学びから逃走することで、自分の未来を限りなく狭くしていることが子どもにはけっしてわからないんだなあ(ため息)。

「どうしてこれほど勉強しないの?」と目の前にいる子どもが理解できないと思っている人なら、興味深くすらすら読めると思います。 この本を読んで、姪たちの不可解な発想の根源にあるものがうっすらわかってきました。 さて、どうしたものだか。
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ユダヤ人って何? 内田樹「私家版・ユダヤ文化論」

突然ですが、質問です。 あなたは「この人はユダヤ人だ」と見分けられますか? ワタシは外見では全然わからないです。 どこからみても白人みたいな人やら、どうみてもアラブ系にみえる人やら…パッとみてもわからないどころか、「私はユダヤ人です」と自主申告してもらわないと見分けがつきません。 それなのに、ヨーロッパやアメリカでは「あの人はユダヤ人だから」という言葉を結構聞くんですよ。 ワタシの認識が根本的に間違っていて、実はすぐにわかる特徴があるのかなとずっと気になっていました。 ユダヤ人って、そもそもどういう人たちのことをさすのでしょうか?

今年の旅でプラハ行きの飛行機に乗ったときに、隣りに正統派ユダヤ教徒の服装をした男女が座っていて、そんな間近からそういう格好をしている人を見るのは初めての経験でした。 「へえ、女の人はあんな服装をするのか」と好奇心でついジロジロ(ごめんなさい)。 しかし、20代の頃、ギリシアの島で同宿したイスラエルから来た若者たちは、ミーハーさが日本の学生と同レベルで親近感を覚えるほどだったので、ユダヤ人といってもいろいろなんですよね(当たり前だ)。 そうかと思えば、先日テレビでナタリー・ポートマンのインタビューをぼんやりみていたら「私はユダヤ人だから」とヘブライ語でひと言挨拶していて、「うわ、この人もユダヤ人なのか」と意味もなく驚いて。 そしてこの間、北欧のデザイン展で解説文を読んでいたら、スウェーデンの有名な家具デザイナーもユダヤ人だという箇所があって、でも写真をつくづく眺めてもワタシには白人にしか見えなくて。 ユダヤ人って何?

先日、内田樹「私家版・ユダヤ文化論」(文春新書)が小林秀雄賞を受賞したときいたので、それならそれほど変な本じゃないかな(ユダヤ論ってトンデモ本が多そうなイメージがあって)と読んでみました。 が、冒頭でいきなり、この本を読んでもユダヤ人がどういう人をさすのかわかるようにはなりませんよ、と書いてありました(笑)。 でも、それなら、見分けがつかないワタシがおかしいわけじゃないのね、と妙なところに納得してしまいました。

10.11ユダヤ文化論

この本に結論とか、ハッキリとした単純な事実を求めてはいけません。 ユダヤ人がどうして長年にわたって嫌われてきたのか(乱暴な言い方でスミマセン。著者はもっと洗練された書き方をされています)ということを通して、ユダヤ独特の「知性」=「ものの考え方」を思弁的に探っていこうとする、その過程がそのまま書かれているといえます。 「ユダヤ人とはこういう人たちだ」と単純に規定することはできないのだそうです。 しかし「反ユダヤ主義」についてなら述べられる。 そこで反ユダヤ主義を通して、「ユダヤ人」という極めてとらえにく集団に少しでも近づこうというのが著者のスタンスです。 もちろん著者は反ユダヤではありません。

「わかりやすい本」とはいえませんが、著者がいわんとしていることは伝わってきました。 ユダヤ人特有の知性が非ユダヤ人に恐怖感を生み、反ユダヤ主義へと向かわせた。 その恐るべき知性は、勧善懲悪とはまったく違う宗教観から生まれたものである…ということのようです(ワタシが理解できた範囲では)。 ただ疑問に感じたのは、そういう宗教観はどういう民族的歴史に由来するのか、ということが説明されていないこと。 そういう宗教観を持っているから、ものの考え方の出発点が他の人たちとはまったく違うと著者は書いているのですが、ワタシは歴史に影響されて宗教はできていくものであって、唐突に宗教が先にあるわけではないはずだと思っています。 なんでバビロンへ民族ごと連れて行かれるほど弾圧されたのか? そのあたりの知識がまったくないためなのか、納得いきませんでした。 とはいえ興味深く読めた本です。 「ユダヤ人ってどうなの?」ということに興味がある人は、読んで損はしないと思います。

個人的に一番印象に残ったのは、中国とインドではユダヤ人との間に過去2000年間なんのトラブルもなかったということ。 もちろん両国に居住するユダヤ人がとても少数だからという理由もあるのでしょうが、歴史的に考えて両国はかなり早い時期から高度な文明を持っていたため、ユダヤ人を驚異に感じることがなかったのでは?(ワタシの勝手な憶測)。 中国人やインド人は経済的な感覚がしっかりしていて「ユダヤ人に出し抜かれた」と恨むような摩擦がおきなかったのでは?(これも勝手な憶測)。

10.11ホトトギス紫

ホトトギスがいつのまにか、ものすごく増えていました。 これは濃い紫。 もともとはこれくらい濃い色だったのが、白と交配して淡い紫のものが多くなったみたいです。

本日は、庭の花の写真を並べて豆本作ろうとPhotoshopをいじっていました。 PCなんて全然わからないくせに、ひとりで手探りでやっているので、異常に時間がかかります。 でも、少しずつわかってきて豆本ぽい形になってくると楽しい♪ ブルース・チャトウィン「パタゴニア」の感想も書きたいのに、相変わらずダラダラいっぱい書いてしまい、本日も時間切れ。
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”常識”を疑ってみる 内田樹「街場の中国論」

ヨーロッパを旅していて、最近は日本人より中国人の方がおおぜい旅行している気がします。 人口が圧倒的に多いんだから、「一部の人」といってもすごい人数になるんでしょうね。 中国人は日本人のように物おじししたりウジウジしないということもあるんでしょうが、みなさん、自信たっぷりというか、「未来は明るい」と信じているオーラを放っているように見えます。 そういう中国人を眺めていると、ヨレヨレのジーンズをはいているワタシは「ああ、もうすぐ中国に追い越されちゃうのね」と、とつぜん日本人として妙な焦りを感じます。 ふと、日米間の経済摩擦がクローズアップされていた当時、アメリカ人が日本製のラジカセをハンマーでつぶしているテレビ映像を思い出し、あの頃のアメリカ人はこういう焦りを感じていたんだろうな、となぜだか納得してしまったり。

中国って隣国だけど、ワタシはご縁がなくてあんまり理解できない。 中国人の気質は日本とはずいぶん違うなと思うくらいで、国全体となると何を考えて何を目指しているのか、新聞やテレビのニュースを聞いてもよくわからない。 親日の人もいそうなのに、反日のデモみたいな動きばかりクローズアップされるし。 中国人ってどういう人たちなんだろう? そこで、NHK-BSの週刊ブックレビューで絶賛されていた内田樹「街場の中国論」を読んでみることに。

9.14街場の中国論

中国について自ら「素人」を宣言することで、中国専門家の常識や定説にとらわれず、違った目線で国家としての中国を検証しようというのが著者の狙い。 内容も文章もとても読みやすいし、「なるほど」と思うこともいろいろありました。 でも、そのわりには読み終わったら、もう何に「なるほど」と思ったのか定かではありません←記憶力悪すぎ(笑)。 もちろん、著者のいうことがすべて正しいわけではないし、個人的な見解を鵜呑みにするのは危険。 それでも「ものを考えるときの姿勢」という点で、非常におもしろかったです。

たとえば「中国政府の言っているややっていることは統一性がない」と日本人なら感じることも、中国人の論理としては筋が通っているかもしれない、と考えてみること。 日本人の常識をあてがって中国について判断しようとするから理解できないので、中国には「中国の常識」があるはずだ、と別方向から考えようとする姿勢。 そのためには、その国の歴史を知らなくてはいけない。 どれも当たり前なんですが、なるほどと思いました。 確かに、歴史的背景が民族(あるいは国家)固有の価値観や感覚に影響を与えているんですものね。 今までアヘン戦争くらいしか認識していなかった中国の歴史を、さっと俯瞰できただけでも、この本を読んでよかった。 それにしても、江戸時代という平和な近世が300年近くも続いた日本はラッキーだったんだなあ…と、改めて認識いたしました。
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