傷ついた心をやさしく包んでくれる良書 クシュナー「なぜ私だけが苦しむのか」

ずっと前から書こうと思っていながら、なぜかうまくまとめることができずにいたのがクシュナー著「なぜ私だけが苦しむのか-現代のヨブ記」。 ひさびさに読書の感想を書くのに、悲嘆の本を取りあげるのもどうかと迷いましたが、この本のことを書かないと次には進めない…なんだかそんな気がするのです。

5年前に悲嘆の本を探していたとき、多くの人がおすすめの本として取り上げていたのがこの本でした。 でも、どうしても読む気になれませんでした。 だって聖書にもヨブ記にもなんの興味もないし、信仰をもっていない私には関係ないんじゃない? この題名もなんだかなあ…で、そのときは本屋さんで探そうともしませんでした。

2年ほど前、たまたま本屋さんの棚を眺めていて目について「これも何かのご縁か」という気がして、とりあえず購入。 それでも読む気になかなかなれませんでした。 ある日、特に理由もなく読んでみようかという気になりました。 それは、秋に受けた人間ドックの結果が届く少し前のこと。 虫の知らせだったのでしょうか。

「要精密検査」の通知が来たのに、マンモグラフィーに何も写っていなかったからと精密検査の順番を後回しにされ、3週間も待たされている間に読了しました。 その時もまさか自分ががんだなんて夢にも思わなかったのですが、がんと告げられた後、何度も辛い局面に立たされるたびに、心のどこか奥の方でこの本のメッセージが響いていた気がします。 いいタイミングで読めて、本当によかったと今は思っています。

7.7なぜ私だけが

この本の原題は「WHEN BAD THINGS HAPPEN TO GOOD PEOPLE」。 邦題のニュアンスはちょっと違っている気がします。 もう少し原題に即したいいタイトルをつけておけば、私のように食わず嫌いする人が減るかもしれないのにと残念に思います。

著者はユダヤ教のラビ=聖職者(宗教に興味がまるでない私はこれだけで読む気が失せてました)。 早老病という治療法のない難病の息子を幼くして失いました。 神を信じ、ユダヤ教の信者のために精一杯尽くしてきた自分がなぜこのような試練を受けるのか。 しっかりとした信仰をもつからこそ、著者がどれほど懊悩したかは容易に想像できます。 しかし、タイトルから受ける印象とはまったく違い、この本の中では著者自身の苦しみについてはほんのわずかしか触れられていません。 自身の辛い経験を経て、著者が世の中にあふれる不幸について、ひりひりするような切実さをもって深く深く考えた結果がこの本なのだと思います。

実は、聖書のたとえ話にまったく興味がない(というか嫌いな)私には、冒頭にヨブ記がでてきてイライラ。 もしも私のように「こんなたとえ話はどうでもいいわ」と思っても、どうか読み続けてください。 いつか、思いもかけない不意打ちのような辛いことが身に降りかかった時に、きっとこの本を読んでよかったと思うはずです。

どうして正しい人に不幸が訪れるのか。 神が全能ならば、なぜ自分にこんな辛い思いをさせるのか、これは自分に対する罰なのか、自分はどこかで意識せずに悪いことをしてしまっていたのか…。 信仰が篤ければ篤いほど不条理を前に自罰的な気持になるだろうと思います。 日本でも「バチが当たった」といいます。 でも、この本は信仰のあるなしにかかわらず、不条理に直面して打ちひしがれた人を普遍的に救ってくれます。 「不幸な出来事にはなんの法則性もない」「あなたは何も悪くない」、著者のこの言葉は、兄の不慮の死と自分のがんで押しつぶされそうな心をそっと温かく包んでくれました。

8.21ユリ

 私たちが問うべきなのは、「どうして、この私にこんなことが起こるのだ? 私がいったい、どんなことをしたというのか?」という質問ではないのです。…(中略)…より良い問いは、「すでに、こうなってしまった今、私はどうすればいいのだろうか?」というものでしょう。(岩波文庫P218)

何か悪いことが起こった時、その原因を探しても意味がない。 原因がわかったとしても過去を変えることはできないのだから。 だからこそ、苦しみを味わった自分にとって大切なことは「これからどう生きるのか」。 どうしようもない過去ばかり振り返らず、前を向いて生きていくことだと、私はそんな風にこの本を読みました。


苦難に直面している人だけなく、苦しんでいる知り合いにどう言葉をかけたらいいのかわからない人にも読んでいただきたい良書です。 「神様は乗り越えられる苦難しか与えない。あなたは強いから、大きな苦難を与えられたのだ」というようなことを言って(実際には励ましどころか落ちこませるだけで最悪!)、自分ではいいことを言ったと悦に入って、相手の心を傷つけたりしないためにも。


長いことかかって、やっとこの本の感想が書けました。 これで一区切りついた気がします。 読んだ本の感想も、またぼちぼち書いていきますね。
Category: 悲嘆の本

悲嘆を乗り越えるために 「死別の悲しみを癒すアドバイスブック」

みなさん、心配してくださってありがとうございます。 優しい言葉の数々、とてもとてもうれしく心に響きました。 ぐったりと重い体を引きずりながらも、なんとか日常生活を普通に送っています。

以下は、とても重い話なので、精神的に弱っている方は読まない方がいいかもしれません。


兄と兄嫁の法要を終えて少しホッとしたところで、兄の命日=兄の末娘および私の誕生日を迎えて、最悪の気分に落ちこんでしまいました。 どの日に亡くなったとしても、記号としての日付になんの意味もないのかもしれません。 でも、どうしても納得できません。 どうして、よりによって私たちふたりの誕生日に、通り魔のような事故で兄があんなに悲惨な最期を迎えなくてはいけなかったのか。 いまも毎日毎晩、考えたくないのに、まるで自分の目でみたかのようにリアルに(病院や警察での説明や、弁護士を通じて入手した警察調書、事故現場に立ったときの記憶から構成されているのでしょうが)、兄の最後の瞬間の映像が頭のなかで再現されます。 それはいつも兄の視点で、突っこんでくる車がみえて、兄が味わったであろう死の恐怖にわしづかみにされ、自分の胸がきりきり痛くなる。 その映像がもう嫌というほど何度も何度もリピートされて、気が変になるんじゃないかと自分が怖くなるくらい。 この1年、ずっとそんな日々でした。

それでも、なんとか地をはうような気持ちで一日一日をやり過ごしてこられたのは、ネットや本で「死別の悲嘆」についての知識を得られたことが大きかったと思います。 私の、この混乱しきった頭の中の状態は、けっして特殊なことではないと知ること。 それだけでずいぶん気持ちが楽になった気がしました。 香山リカさんもこんなことを書いておられました。


死別の悲しみを癒すアドバイスブック―家族を亡くしたあなたに死別の悲しみを癒すアドバイスブック―家族を亡くしたあなたに
(2000/03)
キャサリン・M. サンダーズ

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兄の事故後、本を読む気力がまったくなくなっていたのですが、藁にもすがりたい思いで「死別の悲しみを癒すアドバイスブック」をネットで取り寄せました。 とてもいい本でした。 さまざまな死別体験をしてきた著者の書き方は、「アドバイスブック」などというタイトルとは裏腹に、押しつけがましさは皆無。 ほんとうに思いやりに満ちた優しさと温かい人間性を感じました。 さまざまな死別体験をした人たちの声をたくさん収録してあって、自分の感じ方に普遍性があるのだと知ることで、少し気持ちが楽になりました。 いまでも、私は「ひきこもり」段階なのかな…と思うと、とてもやるせないのですが。 読んだとたんにすべてが解決するわけではありません(そんなうさんくさい本など信じる気になれませんけどね)。

この本を読んでいて、もっと早くに出会っておけばよかったと思いました。 妻を病で喪った兄の喪失感や苦しみを、もっと深く理解して、もっとなんとか支えてあげられたんじゃないかと深い後悔が残りました。 この本は死別の苦しみの最中にいる人だけでなく、身近な人が悲嘆に暮れていてどう接したらいいのかわからない人にも、ぜひ読んでいただきたい本です。

大切な人を喪った人がどんな風に感じていて、どんなに他者からの温かさに飢えているのか、広く知っていただきたいです。 いままで、私はそんな遺族の痛みを知らず、なにかとんでもなく傷つける言葉を言っていなかったかと今更ながら心配になっています。

この本自体は、交通事故や殺人事件の被害者、自死にはほとんど触れていません。 メインは小さな子どもを失った若い親や、幼くして親と死別した子ども…など。 80歳を過ぎて息子を失った親の悲しみとか、両親を相次いで亡くした姪たちの虚無感とか、大人になってから兄弟を失った心の痛みといった、わが家の事情とはまったく一致するところがなかったのですが、それでもたくさんの証言の普遍性で一番辛い時期を支えてもらえました。


悲しみを超えて―愛する人の死から立ち直るために悲しみを超えて―愛する人の死から立ち直るために
(2000/08)
キャロル シュトーダッシャー

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こちらは犯罪事件や交通事故の被害者遺族、自死に直面した家族など、個別の問題が詳細に書かれているとのことで期待して購入しました。 でも、上の本の方がずっとおすすめです。 著者の実体験を赤裸々に書いていないためか、書き方がかたくて学問寄り。 交通事故死についての項目があっても、海外で亡くなったうちのようなケースは、悲しさも、法的なさまざまな手続きもまるで違っていて、誰とも、本当に誰とも分かち合えない。 それをかえって強く感じさせられてしまいました。


交通事故には加害者がいます。 心に受けた衝撃の大きさと、事故後のいやほど現実的な雑用の数々に振り回される事故や事件の被害者は、心の傷からなかなか回復できません。 ましてや、加害者が強制措置入院から出てきたばかりの男で、事故について誰からもひと言の謝罪もないという状況、各種保険会社や現地葬儀社の理不尽な対応…死者を何度も何度も愚弄するような対応に、悲しみにうちひしがれて放心状態の中で精神的にズタズタに引き裂かれた気持ちがしました。 精神的に病気の人が運転する権利を守ることの方が、一般人のふつうに生きる権利を守ることよりも優先されているような状況が正常だとは到底思えません。 加害者が本人の希望通りその場で死んでしまったことだけはよかったです。 加害者が生きていて、何の反省もせずに、普通に結婚したり子どもを持って幸せになったら、どれだけ憎むことになるか…。 加害者があっさり消えてしまったので、私たち家族には恨む対象もありません。 憎み続けたり恨み続けるにはとてもエネルギーがいるので、たぶんとてもそんな余力はなかったと思いますが。


いつか、いつか、本当に心から笑える日は来るんだろうか? いつか、また自分の誕生日を祝う気持ちになる日が来るんだろうか?
Category: 悲嘆の本