抗がん剤最終投与から丸2年半 温泉へGO!

抗がん剤最終投与から4月20日で丸2年6ヶ月になりました。 3分の1が3年以内に再発するというトリプルネガティブ乳がんなので、目下の目標は治療終了から丸3年を何事もなく迎えること。 気にしても仕方がないし、元通りの生活サイクルに戻ったら、あれこれ他のことに気が行くから、「がん」を意識することはずいぶん少なくなってきました。

ただ、温泉へ行こうとすると、やっぱり全摘の胸が気になります。 今回の白浜温泉でも、露天風呂付きの部屋にするかどうか迷ったのですが、お金ないのにそこまで贅沢しなくてもいいのではないかと思えて、広めの和洋室に泊まって大浴場に行くことにしました。 

4.24白良荘

ここに泊まりました。

週半ばで空いているだろうと期待していたんだけれど、実際には思っていた以上におおぜいの人が泊まっている様子。 チェックインしてすぐの16時頃は大浴場は空いていて数名程度だったので、他の人と一緒に露天風呂に浸かってきました。 案外、平気! 夕食後はずっと混雑していたため、10時過ぎまで待って再トライ。 ガラガラではないけれど、シレッと露天風呂へ。 若干1名、東洋系外国人が何やらぶしつけに私をみているような視線を感じましたが、無視。 別に悪いことしてるわけじゃないし、そこまで私がコソコソしなくちゃいけない理由なんてないし、だいたいその人がほんとうに私の胸をみているのかどうかもわからないから自意識過剰なだけ!と自分を鼓舞して完全無視。 途中で母も気づいたのか、さりげなく全摘の胸の側に座ってくれて視線をブロックしてくれました。

湯船に入っている間は左手を首にかけるようにして、さりげなく(?)左胸を隠して、あとは気にしない気にしない。 潮風と波の音が心地いい露天風呂は、温泉のぬるっとした湯触りが心地よくて、お湯からほんのり潮の香りがして、とっても気持ちよかったです。 こんなに気持ちがいいのだから、見られていようかいまいが、もうそんなことはどうでもいい。 ぶしつけな視線にも傷つかないくらい、いつの間にかずいぶん図太くなっている自分にビックリです。 居直った(笑)。

思っていた以上に平気で入れたので、次からはあまり葛藤せずに温泉に行けそうです。 胸を気にして温泉の心地よさを味わえないのはもったいない。

4.24白良浜

実は、同じ頃に同じように全摘手術と抗がん剤治療をしていた人のブログで「大浴場でも平気」と、とても自然に温泉を楽しんでおられるのを読んで、そうだよね、そんなこと気にしなくてもいいんだよね、誰も他の人の身体をそんなにまじまじ見ないよねと励まされました。 人によって感じ方はいろいろだけれど、温泉に対するハードルは時間の経過とともに少しずつ低くなっていくようです。 自分の欠けた身体イメージに慣れてくるというか。

4.24渚


そんなこんなで、白浜温泉の海が間近の露天風呂はとっても気持ちよかった♪ 図太い自分に乾杯!


■たくさんの拍手をありがとうございます。 どんどんおばさん化しているだけかもしれないけれど、図太くなることも時には悪くありませんよね。

術後、丸3年が経ちました

「○○記念日」と、いろんな日を覚えているのがとても苦手な、うっかりものの私でも忘れられません。 3年前の2月12日、左胸の全摘手術を受けました。 建国記念日の翌日の夕方に。

手術を受けた頃は、3年後の自分なんて想像もできなかった。 でも、乳がん発覚から3年以上が過ぎて、意外なほど(!)普通に元気に生きています、今の私。 わきからバッサリ30センチの傷があっても、左胸がなくても、案外普通。

バセドウ病やら骨粗しょう症やらメニエール病やらキツイ花粉症やら(結構たくさんあるなあ…)、細かい病気はいろいろ抱えているけれど、なんでも美味しく食べられて、行動の制限がないどころか以前と同じように普通に仕事も家事もできて、超高齢者の両親のお守りもできて、こまかーい手芸や手仕事も楽しめて、最近ではウォーキングに飽き足りず、ランでもしてみようか(さすがに無理と思うけど)、あるいは四国の歩き遍路の続きをしようかという野望さえ芽生えたりして。

2.13白梅3分咲き

30センチもの大きな傷があって、わきのリンパを3分の1切除していても、腕はほとんど左右の差がないほど自由に上がるし、傷の痛みは手術直後から驚くほどなかったし(主治医の腕がよかったのだと深く感謝)、抗がん剤でカチカチになった右腕の血管の違和感も今ではほとんど消えている。 とにかく、日々の生活に特に支障なく普通に過ごせています。 

この「普通」っていうのがとっても大事なんだということは、がんが発覚してから身にしみて知りました。 術後に抗がん剤治療をしていた頃は、それまで普通と思っていたことがことごとく何もできなくなって、それがとてもとても辛かったから「普通」でいられることに心から感謝。 いつまで生きられるかは誰にもわからないから、今このときを大事に、一日一日、陽ざしや風の匂い、空の高さ、身のまわりの一つ一つをしみじみ味わって生きていきたいと思っています。

抗がん剤治療中によくのぞいていたブログの方々が「全摘した胸に誇りを感じている」と書いておられるのをみて、胸を失って自分でも予想していなかったほど悲しくて悲しくて仕方なかった私は、とてもそんな達観した心境には一生なれないと思っていたけれど、今はなんとなくそういう気持ちもわかるようになってきました。 全摘の傷=いろんな辛いことに一人で耐えられた証のようにも思えるものなのですね。 再建は今のところ考えていません。 健康を守るために必要な手術ではないし、やっと手に入れた平穏な日常を、身体にメスを入れることで乱したくないから。

2.13コブシの蕾

もしも、これから手術を受ける方や手術直後にこれを読んでいる方がいたら、大丈夫ですよと声を大にして言いたいです。 大きな傷は考えただけで怖いけれど、現代の医学はとても進んでいて思っているほど痛くありません(執刀医が下手でなければ)。 私は病院の指導でリハビリを手術翌日からさせられました。 そのおかげで、わきのリンパを切除しても腕は自由に上がります。 辛い時は泣いてもいい。 でも、いつかまた普通に笑える日が戻ってくるから、それを信じて目の前の辛い治療を一つ一つ乗り越えていってください。 何もできないけれど、ここから応援しています。


連日、大雪警報などがでているわりに、このあたりはすごい底冷えはしても(最高気温が4℃とか5℃とか)たいして雪は降りませんでした。 写真はもう1週間も前に撮った白梅とこぶしのつぼみ。 こんなに寒いのに、今年は梅の花がずいぶん早く咲き揃ってきました。 お隣の梅の木はもう3分咲きくらい。 でも、コブシはまだまだ。 コブシの真っ白な花が咲くのが待ち遠しいです。

■たくさんの拍手をありがとうございます!

■京子さん、いつも優しいコメントをありがとうございます。 京子さんのコメントを読んで、叔父が亡くなってからいろいろあって弱っていた心の奥底がじんわり温かくなりました。 毎日をきちんと生きていること、本当に大事なことですよね。

「緩和ケア」という言葉の響きが重すぎて

週末は2週間ぶりに叔父のお見舞いに行ってきました。 叔父は思っていたよりもずっとずっと元気で、終末期とはとても信じられないほど。 本当に驚きました。

10月半ばに入院した頃よりも顔色いいし、ちょっと肉付きが良くなって顔が丸くなった印象。 お医者さんから「片肺が完全に潰れてしまった。残った方の肺には間質性肺炎があるので、明日どうかなっても不思議ではない」と言われてから1ヶ月近くが経過しているけれど、あの頃よりもずっと楽そう。 上半身は動かさない方がいいらしいけど、足は動かすようにとお医者さんから指導されたそうで、腹筋運動みたいに両足を揃えて勢いよく数回上げ下げしても、酸素吸入しているとはいえ息も切れない。 だいたいが酸素マスクがとれて鼻チューブだけになってるし。ベッドに仰向けに寝たまま、窓からみえる雲を眺め、自分が山で撮った大好きな山野草や山脈の写真をみながら毎日スケッチを楽しんでいるそうです。

12.07ヒイラギの花


最近の緩和ケアってすごい。 一般に漠然とイメージされているよりもずっとずっと進歩している。 叔父は病院へ行きたくないから、ずいぶん長い間苦しかったりしんどかったりを誰にもいわずにじっと我慢していたらしい。 で、苦しいのを我慢していることで全身が弱って免疫力が低下→そうなると体内のがんは増殖力が増す、という悪循環に陥って、がんが予想以上のスピードで進行してしまったと思われます。 それが、入院して緩和ケアとして(緩和は治療ではありません)ごく少量ずつ腹部からモルヒネを入れることで苦しみがなくなって、全身状態が改善→一時よりも体調が安定ということのようです(叔父自身も「そうだと思う」といってました)。

緩和ケア=死ぬ間際の人が受けるものと、がんに罹患するまでは私も先入観をもっていました。 でも、本当はそうじゃないんですよね。 国立がん研究センターの「がん情報サービス」ホームページ内の「がんの療養と緩和ケア」を読めば、病気にともなう痛みは我慢せずに薬を使って取り除いた方が生活の質が上がることがわかります。 海老蔵の奥さんもブログに「我慢せずに、もっと早くに痛みを取り除いてもらえば良かった」と書いていました。

叔父が肺がんの積極的な治療をすべて拒否していると、叔母から聞いた時に「治療を一切しないのなら、緩和ケアの外来や病棟がある病院に変わった方がいいのでは」と提案したのですが、叔母は夫ががんだというだけで頭がいっぱいで「緩和ケア」という言葉の響きを耳にしただけで拒絶反応が起きたようでした。 緩和ケア=不吉と思いこんで。 「まだそこまで悪くない」と気を悪くしたみたいだったから、説明したり、私が通っている病院にあった緩和ケアのパンフレットを渡したりもしたけど、聞く耳をもたない感じで。 きっと叔母は読まずに叔父の目に触れないうちにと慌てて捨てたんだろうな…。 自分の親だったら、もっとしつこく説得しただろうけど。

12.07スノードロップ

もしも、自分や家族にがんがみつかったら、なるべくたくさんの正確な情報に目を通してください。 告知された直後は混乱していてとてもその気になれないでしょうけれど、少し落ち着いたら、治療について考える段階になる前に一通りの知識を身につけておくことが現代の患者&家族には求められています。

インターネットにあふれる「これでがんが克服できる」とか「これさえ食べれば、がんが消える」とか「放置していれば、がんは自然に消える」といった根拠不詳の情報じゃなくて(今ちょうど、うさんくさい「まとめサイト」が話題になってますよね)、情報の発信元を確認して、ちゃんとお医者さんが監修した正しい情報を精査して読んでください。


叔父ももう少し早くからせめて緩和ケアだけでも受けていたら、寝たきりになるのを遅らせられたんじゃないかとも思えます。 でも、それはしょせん結果論。 叔父は苦しいのを隠して、ギリギリまで妻とあちこち旅行して大好きな山の風景を眺められたのだし、早めから緩和ケアを受けたとしても「こんなケアをしなかったら、もっとたくさんのことが自由にできたんじゃないか」と後悔したかもしれません。 「自分が決めた」ということで辛い現状でも納得ができるのだと思います。 叔父自身は放置していてももう少し長く元気にしていられて、いよいよダメになってからでも何らかの治療の選択肢は残されていると期待していましたが、残された選択肢はモルヒネによる緩和ケアだけ。 ものすごい葛藤があったのでしょうが、叔父も叔母も「自分が選んだことだから仕方ない」とあきらめがついたようです。 すべては自己選択、自己責任。 厳しい時代に生きているのですね、私たちは。

叔父は緩和ケアを受けたことでお医者さんが初めに宣告した余命よりも2ヶ月近く生き延びていて、今の救急病棟から他の病院のホスピスへの転院ができるほどに(!?)安定しています。 移送するのは絶対無理といわれていた状態だったのに、お医者さんにうながされて半月以上後の転院手続きを始めました。

最後まであきらめてはいけない。 けれど、痛みや苦しみはどうか我慢しないで。 がんの治療をするかしないかはその人の考え次第で、いいも悪いもありません。 でも、適切な緩和ケアを受けた方が生活の質が維持できるはずなので、緩和ケアを頭から否定しないで考えてみて欲しいです。


今年は柊(ヒイラギ)がひさしぶりにいっぱい咲いて、前を通ると甘い匂いが漂ってきます。 蜜蝋みたいな意外にも強い香りです。 顔を近づけてクンクンしようとすると葉っぱの先で鼻をチクッ(笑)。 結構痛い。 楠の木の下、いつのも場所に今年もスノードロップが咲いてうれしい。 去年は1輪しか咲かなかったから、数輪は咲きそうで母もニコニコ。


■たくさんの拍手をありがとうございます。 仕事の予定が二転三転して、最悪キャンセルの可能性もでてきてイライラしつつも、ぼちぼち元気にしています。

人の真価が問われる時

昨日は入院している叔父のリクエストでコーヒーとチョコレートを病室へ届けに行ってきました。 週末は状態が驚くほど安定していて、法事で京都へ来た東京の叔母や従妹たちがお見舞いに来てくれて上機嫌だったそうですが、昨日のお昼頃に容態が急激に悪化。 私が病院に着いた時には、病室にいろいろな測定器械が入って検査で慌ただしくなり、病室に泊まりこんで疲れ切っている叔母はパニックになって泣きだしてしまい…。

いろいろな検査をした結果は、すぐその場で担当医から本人に直接説明がありました。 肺の状態が非常に厳しいこと、酸素量はこれ以上増やせないこと、モルヒネにも限界があるので、これから耐えられない苦痛に襲われた時は意識が薄れる眠り薬しか選択肢がないこと。 意識が薄れてもいいから苦痛を取り除いて欲しいほど苦しくなったら、自分で担当医に伝えて欲しいということも。 表情はみえませんでしたが、叔父はとても冷静に受け答えしていました。 叔父は外来の医師とは相性がよくなかったようなのですが、病棟の若い担当医は大好きで全幅の信頼をおいているようなので、それだけでも本当によかった。

11.7枇杷の花

といっても、叔父は酸素マスク越しでも声がしっかり出て、多少苦しそうにしながらも普通に話ができていて、とても最末期とは思えません。 片肺への気道ががんで完全にふさがってしまい、そのために片肺がつぶれて非常に厳しい呼吸苦に陥っているはずなのに「泣くな!」と叔母を叱咤激励したり、泣き虫の叔母にしばらく付き添ってくれと私に頼んだり、叔母や娘婿と一緒に私も担当医からの説明を聞いておいてくれと頼んだり、娘婿に叔母のことを頼むと重いひと言を伝えたり。 終始、病人の方が付き添っている妻を心配している。

会いたい人には早めに会っておくようにとのことで、夕方に同居している従妹(叔父の娘)が子どもたちを連れてきたのと入れ替えに、水入らずで過ごしてもらうべく私は帰宅。 赤ちゃんの時から添い寝をしておしめを替えたりして、叔父が文字通り「溺愛」した中学生の男の子は病室に入るなり号泣してしまい、それを叔父が「大丈夫だよー」と苦しいのにニコニコしながら顔を上げて手を振ったりして。 私にも笑顔で「いろいろありがとうね」と手を握ってくれました。


病気が怖くて病院へ行くことを頑なに拒んでいた叔父でしたが、すぐそこに迫った最期を前にした今、思いがけないほど冷静で、家族になんとか心配をかけまいと気丈に振る舞っている姿に強く心打たれました。 できることなら、私も最期はこんな風でありたいと思ったけれど、その時になったらあんなにしっかりしている自信はありません。

叔父さん、柄にもなくカッコよすぎるよ…。


11.6夕陽の鉄路

日曜日は東京の叔父の三回忌の法要が京都であって、仲のよい従妹のHちゃんや叔母たちと本当にひさしぶりにゆっくり話ができました。 亡くなった人の遺徳が残された人たちの縁を結んでいてくれているのですね。 ありがとう、東京の叔父さん。 帰りはたまたま電車の先頭に乗ったら、逆光の中で鉄路だけが夕陽で輝いてとてもきれいでした。 鉄道と旅を愛した東京の叔父、そして仕事人として尊敬していた故Mさんのことを思いつつ、一枚写真を撮りました。



余命なんて誰にもわからない

10月半ば、突然呼吸苦に襲われて緊急入院した叔父。 主治医は「最悪の場合、1週間、あるいは月末までもつかどうか」、そんな厳しいことを叔母に告げたそうです。 本人は肺がんがみつかった時から主治医に対しては「何も知りたくない、治療で苦しみたくない、放っておいてくれ」というスタンスだったので、面と向かってはいわれていないようだったけれど。

母と私がお見舞いに行った時にたまたま主治医が病室に来て「ご本人のご希望にしたがって、これからは苦痛をなるべく感じないようにしていくことに力を注ぎます」というようなことを、叔父のベッドの横で私たちに向かって話されました。 ごくサラッと、ここでこれから行われるのは「治療」ではなく「緩和ケア」だけなのだと、この人は結構ハッキリ言っているのだなと主治医の無表情な顔を見ながら感じました。 治療を拒んできた叔父でしたが、呼吸苦に陥ってからは放射線治療でがんを少しは抑えられるのではないかと期待しているみたいに叔母経由で聞いていたので、叔父は主治医のその言葉だけで自分が思っている以上に状態が悪いのだと悟っただろうと思います。

医療者としては、後で責められないように本人と家族の意思をしっかり確認しておかないといけないのは当然のことなんでしょうけれど、なんとなく冷たい気がしました。 お医者さんとしては「こんなになってから、いまさら…」って感じなのかもしれません。 お医者さんが冷たいから叔父が治療を拒んだのか、叔父がかたくなだからお医者さんが冷たくなったのか、どちらが先だったのかは誰にもわかりません。 主治医との間に信頼関係がないまま、みてもらっている叔父。 そのことがとても悲しかった。


10.31野紺菊

でも、叔父は余命宣告より生き延びられています。

一昨日、叔父と電話で話をしました。 2泊3日の一時退院から病院に戻ったところだったようで、思っていたよりもずっとハッキリ機嫌良さそうに話してくれました。 入院した時は1週間くらいでどうかなりそうだと思ったけれど、来年の77歳の誕生日まで生きていられる気がしてきた、と。 これからの寒さ対策に寝袋を買えばリビングでもごろ寝できるかもとか、明るい声でまだあきらめていないと。 「当たり前よ、自分を信じなくちゃ。 結局は自分の生命力が大事なんだから」とかなんとか、そんなことを私は叔父に言ったんだったかな…。 何をどう言ってあげればいいのか、正解なんてないんでしょうね。 がんサバイバーとして、普通の人よりは死を意識していると思うけれど、病臥している叔父にかける言葉がみつかりません。

叔父は朗らかだけれど、実は人にとても気を遣うタイプ。 だから、心配させまいとよけいに朗らかにいろいろしゃべっているんじゃないかと思えて切なかった。 こんな調子で、個室に寝泊まりしている妻にも、留守宅を守っている娘一家にも、一生懸命明るく振る舞っているんだろうと、叔父がどんな顔をして笑っているかまで見えるようです。 叔父よりずっと若い、優しくて泣き虫の叔母が涙をこらえながら叔父に合わせて一生懸命朗らかにしている様子もありありと目に浮かびます。

余命宣告するときに、お医者さんは必ずかなり短めに言うと聞いたことがあります。 言っていたより早く亡くなると遺族から責められる恐れがあるし、言っていたより長く生きていると「先生のおかげで」と感謝してもらえるから。 結局わからないのに、なぜ余命宣告なんてするんでしょう?


10月後半は珍しく仕事がいい感じに忙しかったのですが、それも月末で終了。 仕事をしながらも、ずっと叔父のことを考えていました。 いつかは私の身にも、誰の身にも起こること。 私だったら、どうして欲しいだろう。

抗がん剤最終投与から丸2年 元気です

10月20日で抗がん剤治療の最終回から丸2年が経ちました。

抗がん剤治療を受けていたときはお先真っ暗、1年後の自分もイメージできなかったけれど、2年生き延びられました。 最近では東京オリンピックのことを聞いても、治療中のように「それまで生きていられるだろうか」とヒリヒリするような切実な感じは薄らいで、漠然とそのときも生きていることを前提に物事を考えている自分がいます。 そして、そんな自分に気づいて、ずいぶん病抜けしたものだと安心したりして。

10.15琵琶湖

人は誰も自分がいつまで生きているかはわからない。 それはがんに罹患した人も、いま現在自分は健康だと思っている人もまったく同じ。 ただ、健康だと思っている人は自分が死ぬことを具体的にはイメージしない。 「終活」なんていって、なんだか楽しそうにやっている人たちもそれは同じ。 がんだと宣告されると、「自分の死」が視界のすべてを覆うほど目の真ん前に突きつけられた気持ちになります。 その生々しい感覚は体験してみないとわからない。 「死ぬ気でがんばる」なんてことは、死ぬ気がしない人にしか言えない台詞。

治療中は目の前にずっとぶら下がって視界を遮っていた「自分の死」。 それが治療が終わると、時間の経過とともに少しずつ遠ざかっていきます。 意識の中から消えてはしまわないけれど、自分は健康だと思っていた頃のように「生きているのが当たり前」な感覚に近づいていくようです。 抗がん剤の辛さも、脱毛したときの悲しさも、死を意識してのヒリヒリするような切迫感も薄らいでいく。 生物としてそれが健全なんだと思います。

明日が来るかどうか、本当は誰にもわからないのだけれど、何の根拠もなく明日も今日と同じようにやってくると思えるようになった自分にホッとしています。

10.20キンモクセイ

去年の今頃は帯状疱疹になったり、その前からバセドウ病を発症していたり(たぶん)、まだ身体的にしんどかった。 バセドウ病とわかっていなかったから、異常なほどの倦怠感や激やせ、血液検査結果の異常な数値に「再発したのでは」と心底びびりましたが、不調の原因がはっきりして治療を受けて、今は本当に普通に元気になりました。

抗がん剤の副作用はほとんど何も残っていません。 脱毛した後に生えてきた髪の質が変わったとか、まつげが短くなったとか、足の爪の黒ずみがまだ一部残っているとか、足の甲が色素沈着して黒いままだとか、細かいことはあるけれどたいしたことではありません。 あえてあげるなら、点滴をした右腕の血管が今もまだ硬いことくらい。 といっても、重い荷物も平気で右腕でもてています。 バセドウ病になったのは抗がん剤の後遺症のようですけど(たぶんもともと甲状腺に多少問題ありの体質で、弱いところにしわ寄せが来たのだと勝手に思っています)、薬でコントロールできるものなので大丈夫。 自由に動き回れるだけでも本当にありがたいことです。

トリプルネガティブ乳がんの再発率が高い3年間を越えるまで、あと1年。 まずは3年生き延びるのが当面の目標です。

10.20白のホトトギス

自分が無事でホッとひと息つけたはずなのですが、半年前に肺がんがみつかったものの無治療を選択した叔父が間質性肺炎とがんのリンパ節転移で体調が急変し、叔母は非常に厳しい余命宣告を聞かされたそうです。 こんなに早く悪くなるなんて…。 お願いです、もう少し猶予をくださいと天に祈ることしか私にはできません。 無治療についてはいいたいことがいっぱいあるのだけれど、今は叔父の選択を否定したくないので何もいいません。 叔父と叔母にとって今晩が安らかでありますように。

キラーストレスに負けないために 100のリスト

今日もしつこくNHKスペシャル「キラーストレス」の感想を。 忘れっぽい自分のための備忘録&番組をみてない人の参考のためにメモ。

前回書いた「”いま”を味わって生きる」というのは、がん治療を経験して思うようになったことなのですが、キラーストレス対処法の一つとして放送で紹介された「マインドフルネス」(瞑想法の一種)の考え方にとても似ていました。 番組のHPによると、「マインドフルネスとは『今の瞬間』の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情にとらわれないでいる心の持ち方です」とのこと。

6.23半夏生

骨粗しょう症を少しでも改善しようと日光浴と運動を兼ねて毎日近所を歩くようになって、人間も生物なんだと深く実感しています。 屋外を歩くことで(曇りの日でも骨粗しょう症対策としてはまったく問題ないそうです)、本当に「光合成」している感じがするんですよ。 日光には電気の光とはまったく違う作用があって、そのプラスの影響が身体だけでなく心にも及んで、なんだかよくわからないけれどエネルギーをチャージしている感覚があって。 日光ってすごい!

美しいものやかわいいものに見惚れる、暖かい陽ざしを心地いいと感じる…そういった感覚的なことに、余計な解釈や意味づけなどしないで、「美しいから」「心地いいから」私はいま気持ちがいい、ただそれだけでいいと思うようになりました。 こんなどうでもいいことにボーッとしていて何の役に立つのか?などと考えすぎないように。 考えこんでしまいそうになったら、小鳥や猫や植物をイメージしたりして。


番組のHPには「マインドフルネス」のやり方が詳しく書かれているので、興味がある方はココをみてください。 でも、こんな風に10分も呼吸だけに意識を向けることは一人ではむずかしいですよねえ。 呼吸法&ストレッチに数年通っているけど、先生のかけ声がないと全然ダメだもの。

6.23アガパンサス

瞑想法マインドフルネスのほか、キラーストレス対処法として「コーピング」という、より具体的な手法も紹介されました。 これは瞑想よりももっと簡単で誰でも取り入れられそう。

まず、気持ちを軽くしてくれるもの、気分を上向きにしてくれるもの、自分がリラックスできることを100個くらいリストアップする。 リストは質より量。 どんなしょぼいことでもOK。 なるべくたくさんリストに書いておいて、ストレスを感じたときにそのリストの中から効きそうなものを選んで試してみる。 そうやって、どんなストレスにはどう対処すればいいのか、その方法を自分で知っておく、というのがコーピングだそうです。

例えば、私がパッと思い浮かぶのは「散歩する」「かわいい動物の動画をネットで探す」「世界ネコ歩きをみる」「空を見あげる」「動物をなでる」「きれいな花を眺める」「花のいい香りをかぐ」「気持ちが安らぐアロマオイルをかぐ」「緑の葉っぱをなでる」「川縁のベンチに座ってせせらぎを聞く」「海外の紀行番組をみる」「山歩きの番組をみる」「旅行のパンフレットをながめて旅を妄想する」「美しい風景の写真を眺める」「星を眺める」「月光浴をする」「背中にお日さまの暖かさを感じる」「風を感じる」「小鳥を探す」「編み物をする」「刺繍する」「手芸本を眺める」「かわいい布を並べて何か作ろうと妄想する」「今まで作ったことがない新しい料理を作ってみる」「美味しいお菓子を食べる」…などなど。 「友だちとおしゃべり」もすごくいいストレス発散だけれど、一人でできることをたくさんリストにもっていた方がより手軽に実践できるかも。

番組では、コーピングで鬱病を克服した男性が、自分のリストの一つとして木に抱きついてられました(いい笑顔だった!)。 「猫の肉球のにおいを嗅ぐ」とか「宝くじが当たったら何をするか考える」とか、ホントになんでも、どんなくだらないことでも自分の気持ちが晴れればいいみたい。

自分にとって楽しいことを思い浮かべるので、リストアップするだけでなんか楽しい気分になれそう。 これって、以前、雑誌の記事がおもしろくてやってみた「100の夢リスト」に似ている。 興味のある方は、コーピングのリストとか夢リスト100を試してみてください。 


キラーストレスに対処する方法は上記の2つ+運動というのがNHKの番組の結論。 運動はジムで本格的にやるばかりでなく、本当にちょこっとのことでもよくて、通勤の歩き方を少し早足にする程度でもいいみたいです。 運動が特に好きじゃない人は「運動をしなくては!」と無理をすると、それがストレスになりそうですものね(笑)。 上でも書きましたが、私の経験上、ジムのような建物内よりも屋外、できれば緑の多いところや空がいっぱいみえるところを散歩すると光合成できて(笑)気持ちいいです。

6.23サクランボ

そうそう、リラックスのリストには「サクランボを食べる」もぜひ載せたい。 サクランボって特別。 

ちょこっと隙間時間にできるようなことでキラーストレスを解消して、みなさま、重篤な病気を予防してくださいね。 私も日々、お気楽散歩&光合成で骨密度アップと免疫力アップを目指します。 それでも再発したら…という不安がどこか奥の方から突如湧いてでてくる日もあるけれど、それはそうなってからゆっくり考えればいいこと。


昨日は夏至。 散歩道の傍らでひっそりと咲く半夏生(ハンゲショウ)をみつけました。 前日まで気がつかなかったのに、律儀に夏至に合わせて白く色づいて。 涼しげな薄紫のアガパンサスも散歩道沿いにいっぱい咲いています。 クチナシのいい香りも漂ってきて、梅雨の晴れ間をしっかり楽しんでいます。


■たくさんの拍手をありがとうございます。

■るりさん、はじめまして! 拍手コメントを残してくださってありがとうございます。 身に余るお言葉、恐縮です(汗)。 とにかく書きたいことを好き勝手に書いているだけのブログなんですが。 リアル友だちには「長すぎて読む気がしない」「読んでもよくわからない」などと不評なので、ほめてもらえると素直にうれしいです。 また、のぞきにきてくださいね。

"いま"を生きる キラーストレス対処法

一昨日と昨日、NHKで2夜連続放送の「キラーストレス」をみました。 興味深い内容でしたが、経験値としておおよそわかっていたことばかりという気もしました。

キラーストレスと呼ばれる過度のストレスがかかると、心筋梗塞や脳梗塞、がん(特に乳がんについてのメカニズムが実証されたとのこと)、糖尿病などを引き起こすという。 そんなことは、それほど目新しくない。 直感的にうっすらわかっていたことが、はっきり科学的に証明されたという点が新しいだけで。

乳がんの手術を受けるために入院していた際、6人の大部屋でした。 同室の方たちはほぼ同世代。 それぞれに違うがんでしたが、雑談タイムに「私のがんの原因はストレスだと思っている」と話したら、全員が「私もストレスだと思う!」と即答。 医学のド素人でも多少なりとも、がんについて本気で調べれば、過度のストレスが免疫に傷を作ったり、ふだんは免疫作用で日々消されているごくごく小さながん細胞が、免疫力が低下したときに増殖&暴走をしてしまったのだろうということは誰でも容易に見当がつきます。

6.20ホタルブクロ


私の場合は、兄の不慮の死の衝撃と、その後に続く外国との法的な不毛のゴタゴタ、そしてあまりにも思いがけない、そして理不尽な理由での兄の急逝が引き金になって起こった家族内での確執、それらによる抑鬱状態から延々と不眠症が続いたことが、体内にあった微少ながん細胞を2センチを超すまでに育ててしまったのだと思っています。

でもね、原因についてあれこれ考えても仕方がないとずっと思っていました。 だって、もうがんになっちゃってるんだから。 原因がわかったとしても、がんに罹患した現状は変えられない。 原因を探るのは医師の仕事。 今後、みんなががんになるリスクを減らすために、私の治療の記録が少しでも役に立てばいいなとは思っているので、個人のデータは医学研究のために使っていいですよと同意書にサインしましたが、もうがんになってしまった私自身は原因にさほど興味はありません。

時間を巻き戻すことはできない。 がんになる前の過去に戻ることは絶対にできない。 それなら、過去を振り返って「あのとき、こうしていればよかった」と後悔することは身体に悪いだけでなんの益もない。 兄の死のショックからはなかなか立ち直れず、過去ばかり向いていたわりに、自分の乳がんについては過去を振り返ることは当初からあまりありませんでした。

毎年きっちり人間ドックに自費で行ってマンモグラフィーも超音波検査もしていたのに、なぜ2センチ越えるまで見逃されていたのか、という点についてもあまり恨みには思っていません。 私はただ毎年「異常なし」といってもらって安心したかった。 前年に1センチ弱のしこりを触診で指摘されても、マンモグラフィーにも超音波にも写らないからホッとして、しこりのことなんか忘れていました。 がん発覚の3年ほど前に、反対側の胸に良性の乳腺症といわれたことがあったので、良性のしこりができやすい体質なのだと勝手に納得したりして。 検査をしていてもみつからないこともある。 それも、私が持って生まれた運だと思いました。

6.20紫陽花


話が脱線して長くなりましたが…

NHKの番組では、キラーストレスを減らすには運動が有効とのことでした。 30分程度のウォーキングなど軽いものでもいいそうです。 それも当たり前といえば当たり前だけれど、実証されたことに意味があるのですよね。

現代人のストレスは過去や未来のことを思い煩いすぎていることに起因しているそうです。 これはなるほど。

がんになってから、動物や小鳥は”いま”を生きている…昨日の失敗を後悔したり、明日のことを考えて憂鬱になったりしない。 あるのは”いま”だけだとふと気づきました。 抗がん剤治療に耐えているときに、無心に餌を探し、ときには気持ちよさそうに歌っている小鳥をみていて、自分ももっと”いま”を大事に生きようと思いました。 3年後に自分が生きているかどうかなんて、いくら心配しても誰にもわからない。 過去を悔いても、がんになった事実は変わらない。 それなら、いま、このときを大事にしよう。 刹那的ともちょっと違う。 目に映る空の青さを、ひとり見あげる月の静けさを、新緑のみずみずしさを、しみじみ味わって生きようと。

そういう考え方はストレス対処法としてはいいことみたい。 抗がん剤治療という極度のストレス状態にさらされている間に、無意識にストレスに対処する術をみつけていたのかもしれません。

ほかにストレス対処法としてあげられていたコーピングもなかなかおもしろそうでしたが、長すぎるのでまた後日に。


■いろいろな過去記事にも拍手をありがとうございます。 抗がん剤治療中の方、辛いことばかりかもしれませんが、小さなことでも自分がホッとできること、笑顔になれることを探してくださいね。 誰だって(健康にみえる人だって)自分がいつまで生きているかはわからないのです。 いまに目を向けて、この瞬間を味わいながら生きていくことで免疫力を上げていきましょう。 


全摘でも温泉

5月の旅行で、私にとってのビッグイベントは大浴場デビューでした。

全摘手術で左胸のすべての肉と脂肪と皮膚のほとんどを取ったので、25センチのバッサリ切った大きな傷+凹んであばら骨が浮きでた胸。 もちろん人目にさらしたくない。 好奇の目で見られたくない。 たまたまそんな胸を見てしまった人にとってもトラウマになりそう。 なので、大浴場に入るにはとても勇気がいります。

ドキドキしながら大浴場に行ってみたら、宿全体がとても空いていたので無問題! 女性客はほかに1グループしかいなかったので、いつも完全貸し切り状態。 1日3回も温泉に浸かってきました。 案ずるより産むが易しですね。 抗がん剤治療が終わって1年7ヶ月、あれこれ気にせずシレッと温泉にも入っちゃおうと思いました。 24時間いつでも入れるお風呂なら、空いていそうな時間を狙っていけば、きっと大丈夫。 

ところで、温泉がガラガラなのをいいことに温泉に浸かりすぎたのか、左腕が異様にだるくなりました。 手術直後に感じた、だるさと同じレベル。 ちょっとやばそうなだるさ。 「脇のリンパは3分の1取っただけだから、何をしてもリンパ浮腫にはならないと思いますよ-」と主治医はあっさり言っていたけど、ひょっとしてリンパ液が増えちゃったとか?? 重い荷物を左手で持たないように気をつけていたし…原因は温泉? 熱いお湯に長く浸かっているとリンパ液が増えると、どこかで読んだことがあるような。

異様なだるさが気持ちが悪いので、宿の部屋や電車に乗っているときはなるべく左腕を肘から上げるようにクッションを当てたり、寝るときは枕を使って腕を上げて、優しく腕をさすったり。 家に帰ってからはあまり気にならなくなりました。 よかった…。


6.8一重のクチナシ

家の横の解体工事は連日ドドドガガガ、粉塵モヤモヤ…まだまだ終わりません。 庭仕事もできず、家にいても気分的にまったく休まりません。 庭ではクチナシやアジサイが見頃なのに。 どこかへ逃避したいと思っていたのに、母の体調がふるわなくて、そんな人をこの騒音と埃の中に置いてきぼりにもできず。 仕方なく騒音に耐えて手仕事しています。

騒音が響いているよりはテレビがうるさい方がましな気がして、テレビをつけっぱなしにしていたら、海老蔵の記者会見が…。 ああ、奥さん、まだ若いのに乳がんだったのね。 それも進行がんで手術ができないなんて。 抗がん剤しか効かないということはトリプルネガティブ乳がんなんだ、たぶん。 涙目で淡々とかなり細かく説明している海老蔵が切なくて、こちらまで泣きそう。 きっと体調が安定したら、家族で旅行に行きたいんだろうな。 本当にそっとしておいてあげて欲しい。 子どもたちと一緒の時間を過ごして、少しでも笑顔になれますように。 笑顔で免疫力が上がって、抗がん剤がよく効きますように。

治療終了からほぼ1年半の主治医診察

先週木曜日、乳腺外科の主治医の診察でした。 トリプルネガティブ乳がんの場合はホルモン薬などの投薬治療がないため、私がかかっている病院では、無治療になると経過観察は半年に1回だけ。 無治療になった当初は、病院に行くのは嫌にくせに、主治医に会うことが急にほとんどなくなると、それはそれで一人で放りだされたみたいで心細かったりして。 勝手なものです(笑)。

前回の主治医診察は12月末。 本来は次は6月末か7月頃のはずでしたが、バセドウ病の治療の経過も知っておきたいとのことで、3ヶ月後の今日が乳腺の診察日になったわけです。

触診と問診だけで、あっさり終了。 あやしいシコリはなし。 「傷はおかげさまで全然痛くないです」「ストレッチで肩や腕の動きは左右ほぼ同じくらい、まったく痛みなくできています」ときっぱり言ったら、喜んでた(たぶん)。 傷に痛みがあると訴える人がかなり多いそうです。 「ストレッチはなるべく早くから、よく動かすといいんですよ-。早くから動かしておいて良かったですね」とニコニコ満足そう。

バセドウ病発症原因については「抗がん剤治療中も、vogelさんは他の人に比べてかなり元気だったのにね。 そんなに弱ってなさそうだったのに、なぜ、それも治療が終わって時間が経ってから発症したのか??」と不思議がられました。 TSH=脳下垂体からでるホルモンが「0.001未満」というデータに「こんなに低い数値、あまりみたことがありません」と驚かれ、「うーん、バセドウの治療はかなり時間がかかりそうですねえ」と。 一生のおつきあいを覚悟しないとダメそう…。 

3.31桃の花

ひょっとして主治医が転勤になったらどうしようと、ちらっと不安がよぎりましたが(年度末だし)、別にその気配もなくてホッ。 病院内で出世してくだされば、患者としてはそれが一番。 じわじわと院内での地位が上がっているようなので、このままゴールなるか…先生、がんばって残ってね。

主治医のいうことならなんでも一も二もなく信じるというわけでもないけれど、医師と患者としての信頼関係はこの2年あまりで築けていると感じています。 私の胸に巣くっていたがん細胞のことだけでなく(病理の検体があれば、医学的事実は別の医師でもわかるはず)、治療中の様子をみているから、私がどんな性格なのか、どういう反応をするのか、人間性の部分もだいたいはわかってもらえているという安心感があります。 患者としては、もうしばらく(できればずっと)今の主治医にみてもらいたい。


いつもの病院までの川沿いの散歩道、木曜はまだ染井吉野も枝垂れ桜もまだ全然咲いていなくて拍子抜け(今は満開だろうな)。 エナガと会った小さな梅の木は花がすっかり終わり。 雪柳以外、何も咲いてないなあとがっかりしていたら、まだ若い桃の木がちょうど目の位置で、ぷっくりとした丸みのあるかわいい花を咲かせてくれていました。 今年はスモモと桃を改めてじっくり眺められて、それぞれの愛らしさを再認識しました。 年間パスを買ったから、近々もう一度スモモを眺めに植物園に行こうかな。

■いろいろな過去記事にもたくさん拍手をありがとうございます!

■名なしさん、いつも見守ってくださってありがとう。

■京子さん、拍手コメントをありがとうございます。 京子さんのところにも、コゲラが励ましに来てくれたんですね。 私もまったく一緒! 治療を始めたばかりの頃、一度だけ手が届きそうなほどそばに来てくれたんですよ。 病院へ行きたくない、点滴なんか受けたくない、と後ろ向きだった気持ちをそっと支えてもらった気がしました。 偶然、まったく同じ体験をされたなんて不思議。 小鳥は自由で軽やかで、そしてはかなげで、でも明日のことも遠い未来のことも憂いていない、この瞬間を精一杯生きていて、ときどきはちょっと楽しげで(他の生物もそうなんですけど)。 いいですよね。 いっぱいキレイなもの、かわいいものを眺めて、いっぱい脳内の快楽物質をだして免疫力アップ目指しましょう!