一歩、前へ

ほんの少し元気がでてきたかな、と思った矢先に震災が起こって、また落ちこみに逆戻り。 被災地から遠いこの町で、私のような無力な人間がどう思いわずらっても何の役にも立たないことは重々わかっているのだけれど。

「こんなときだからこそ、がんがん消費して経済を回さなくては」「過剰な自粛は経済を縮小させてしまう」という論調には心情的にどうしてもついていけなくて、被災したわけでもないのに世間から置いてきぼりにされたような気がしていました。 国家という視点から考えれば、経済の話はもちろん正論であることは理解できます。 でも。 同じ国に生きていた人が何万人も亡くなったり行方不明になったり、着のみ着のままの難民状態である映像を横目に、ほんとうに楽しくショッピングしたり、とびきりのご馳走を心底満足して味わえるほど精神的にタフな人ってどれほどいるんだろう?(「楽しんでいる」というふりを無理にしている人も結構いる気がする)

短期でいいから国民として「喪」に服する期間があってもいいんじゃないかとか、こういうときこそ宗教の意味があるだろうのに、どうしてわが町にいっぱいあるお寺は積極的に被災地支援に動かないのだろうかとか、いろんな疑問が後から後から湧いてでてきます。 熱心な宗派もあるようですが、観光寺院って震災に対してほとんど反応なし。 観光客から拝観料をとって、その上に観光客から募金って…。 拝観料の中から募金するとか、ライトアップの拝観料だけでも支援に回すとか、被災地で読経奉仕するとか、そういう発想はないのかしら??

もやもやとした気持ちのとき、書評家の藤田香織さんの日記を読んで「普通の人の感覚はこうなんだよね」と何かストンと納得でき、すごく共感しました。 大惨事を前にして、いいオトナがショックを受けておたおたしててもいいんだと救われた気がしました。 震災後に増進した食欲のことや日常的な食生活、なごめる犬猫の写真…藤田サン、こんなときだからこそ書いてくれてありがとう。

4.8野の花

震災の後、兄の納骨をしました。 被災した方々を思えば、じっくり兄の死を悼み、兄をおくる時間があったこと、遺された私たちにとっては本当にありがたいことでした。 兄のさらさらの遺灰をサラシの袋に移し、兄が大事に隠し持っていたお義姉さんの御骨の一部と一緒にお墓に納めました。 それで、自分の心に少し区切りがついたように思えました。

兄の事故以来、テレビは刺激が強すぎてほとんどみられなかったのですが(震災映像と情報以外は)、灰色のがれきの風景に疲れ果ていて…、そんなとき、月曜に何気なくみたNHK-BS「極上美の饗宴」がすごくおもしろかった。 美しい絵を無心にみることが、これほどまでに自分のこころを明るく照らしてくれるのかと驚きました。 みんなが言っている「普通の生活を続けていくことの大切さ」ってこういうことなんだなあと、やっとわかりました。 無理に消費行動をするというのではなくて、自分が本当に好きなことをすることなんですね。 そういう風に本当に心底思えるようになって(表面的に同調しているだけじゃなくて)、こんなにだらだらブログが書けるくらいに元気がでてきたってことなのかもしれません。

拍手や拍手コメントをいつもくださるみなさん、本当にありがとうございます。 少しずつ、少しずつ元気になれそうです。
Category: 日々の記録