形のないものを描こうとした志 「長谷川等伯」展@京都国立博物館

土曜日は展覧会友だちと一緒に京都国立博物館の「長谷川等伯」展へ行ってきました。 先週末はとても空いていたというクチコミ情報に淡い期待をしていたんですが、朝一番でも激混み。 9時30分開館に合わせて20分に到着したときには、すでに気が遠くなるほど長蛇の列ができていて、待ち時間は60分とのこと。 長谷川等伯なんてそれほど人気ないと思ったのになあ。 これはやっぱり宣伝効果?? やたら寒い風が吹く中、待たされること40分ほどで入場できました。

最初の方はやたら混雑していて、人垣越しにしか見えません。 でも、能登の七尾にいた頃に描いた仏画は端正でそれなりに優美だけれど、別に特にピンときません。 このあたりはささっと眺めるのみで通過。 中盤以降くらいからは意外に「むちゃくちゃ混んでいる」という感じでもなくて、結構じっくり鑑賞できました。

4.17長谷川等伯展

長谷川等伯といえば、智積院にある楓図と桜図が桃山時代らしい絢爛豪華さで強く印象に残っていました。 でも、展示されていた楓図をみて「!?」。 色が褪せたの? それとも会場の照明が悪いの? えらくすすけてる感じで、20年以上前にみて感動した絵と同じものとは信じられないくらい。 当時はまだほんものが何気なく座敷にはまっていて、それはそれは豪華で力強くてインパクトあったのに。 萩耿介の小説「松林図屏風を読んで、桜図をもう一度ゆっくりみたいという気持ちになっていたのに、桜図は展覧会後期のみの展示でした。 がっかり。

4.17博物館の桜

前半はいまひとつだったんですが、後半はすばらしかった! 長谷川等伯って智積院の楓図のイメージが強くて「金碧障壁画の人」と勝手に思いこんでいたんですが、水墨画の方がすごいんですね。 展覧会の目玉である国宝「松林図屏風」は、想像以上に実物はすばらしかったです。 深い霧(ワタシのイメージでは海霧)の肌にまつわりつくような湿気、そして松葉を揺らす風の音だけが聞こえてくるかのような世界。 こんな風に日本画で霧を描いたものってみたことがありません。 まるで水墨画の印象派! これは下絵だったとのこと。 下絵だから省略してささっと描いたのか、それとも本絵もこんな風に描いたのか。 本絵が失われてしまった今となっては謎です。 その向かいに展示されていた「檜原図屏風」も絵と書のコラボレーションがとてもステキでした。 この檜林も同じように霧の中に浮かび上がっている絵。 もう少し前に展示されていた「萩芒図屏風」ではうねるような秋風を感じさせる秋草ともども、等伯は形にならないものを懸命に紙の上に定着させようとした絵師だったのだと感じました。

4.17博物館の桜2

33歳で故郷・七尾から上京した等伯は、50歳を過ぎてからどんどん絵がよくなったように思えました。 手本となる絵の描き方から脱却したのが50歳を過ぎてから(とワタシには思えた)。 狩野派が独占していた都での絵の仕事に食いこみ、秀吉に気に入られて栄華を手にした等伯。 それでもなお、最晩年まで独自の描き方を模索し続けた姿勢は絵師としてきわめて意欲的です。 展覧会前に読んだ小説は2つ揃って、等伯のことを陰険で抜け目ない上昇志向の強い人物として描いていたんですが。 展覧会をみたら、ぜんぜん違う等伯像がワタシの中に生まれました。 絵を描くことに真摯に向き合った人だったんじゃないか。 狩野派から仕事を奪うために賄賂を渡したとしても、それはコネがなくて仕事のきっかけがつかめなかったからじゃないのか。 野心は強かったのでしょうけれど、でもなによりも「描くこと」が好きだったことだけは確かだとワタシは思いました。 小説の描き方はちょっと気の毒だな。

あちこちのお寺で等伯の襖絵ってみている気がするんですが、いまひとつどういう画家なのがわかっていませんでした。 知っているようでよく知らなかった等伯の絵を知るにはいい機会でした。 Mさん、いつもつきあってくれてありがとう!

写真は京都国立博物館の敷地内で咲いていた桜。 まだ八重桜は品種によってはみごろのものも。 寒いのでいつまでも市内の桜がちらほら残っています。
Category: 展覧会

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