芳醇でほろ苦いもの

1週間前、かねてから療養中だった叔父が亡くなりました。

母の8歳年下の弟だった叔父を、子どもの頃から「叔父さん」と呼んだことはありませんでした。 いつも「××ちゃん」と名前に「ちゃん」付け。 常にエネルギッシュで若々しい叔父は、「おじさん」という呼び方が子どもの目にはひどく不似合いに感じられて、結局、最後まで「××ちゃん」と呼んでいました。

「いつも一番自分が好きなものから食べろ(食べないうちに地震で死ぬかもしれない。美味しいものはさっさと食べておけ)」「自分が持って歩ける以上の荷物は持つな(女だからといって他人に持ってもらうことを期待してはいけない)」「ただ飯を食うな。面構えがさもしくなる」などなど、叔父の人生訓はいろいろありました。 美味しいものは最後に食べたい私は最初の人生訓を守れないままだけれど、あとの2つはしっかり守っています。

自分の言葉どおり、好きなことを仕事にして、何事も先延ばしせずにどんどんやり遂げていくバイタリティー全開で一生を駆け抜けていった叔父。 人生を楽しむことにどん欲で、人と賑やかに笑顔で過ごすことが好きで(意外に寂しがり屋)、宵越しの金は持たない江戸っ子気質(東京人ではないのだけれど)でみみっちいことが大嫌いで、お酒もタバコも大好きで、一目惚れした老舗のお嬢さんを押しの一手でお嫁さんにしてしまった人でした。 最後の3年、思うようにならない身体での療養生活は、叔父にとっては初めて、好きで好きで大騒ぎして結婚してもらった恋女房と二人きりの静かな時間だったのかもしれません。 幸せな人生だったよね。
 
11.13コムラサキシキブ

父が外国に単身赴任していたり、母は寝たきりの姑の介護を家でずっと一人でしていたりして、小学生の私がかわいそうだと思ったのでしょう、叔父は何度も海水浴やスキーの旅に連れて行ってくれました。 小学校3年か4年のとき、スキー宿で夜に喉が急に痛くなって熱までだした私に、叔父は「喉を消毒するお薬」といって琥珀色の飲み物を飲ませました。 喉のためのシロップのようにみえた液体を、叔父に言われた通り鼻をつまんで一気に飲んだ瞬間、喉がカーッと焼けて、そのままベッドに倒れこんで熟睡。 翌朝の目覚めはさわやかで、風邪はすっかり治っていました(笑)。

人生初めて口にしたウィスキーのように、叔父にはときに楽しく、ときに辛口の人生の機微を教えてもらいました。 人生は芳醇でほろ苦いもの。 でも、苦みが人生に深みと陰影を与えて豊かにすることはあるのかもしれないと思えます。

××ちゃん、たくさんの楽しい時間と思い出をありがとう。 今頃は夜汽車に揺られながら、ちびりちびりとお酒をなめて、「ほほう、これが噂の三途の川か」なんて感心しながら上機嫌で眺めているかな(舟より汽車が似合う人だったので)。

11.13秋の蝶


FEC最終回から3週間後というのは白血球などが正常に戻ったかどうかという微妙な時期で(FECの副作用が軽い人なら気にならないのでしょうが)、東京での葬儀には行けませんでした。 昨日の葬儀が終わるまでは、ブログの更新をする気にもなれずにいましたが、私自身は元気にしています。 悲しいときは無心で歩いて、無心で家の中を掃除しまくっていました。

Category: 日々の記録

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2014/11/16 (Sun) 01:50 | # | | 編集
Re: ムラサキシキブに似てますね( *´艸`)

indigoさん


写真は「コムラサキシキブ」です。 買ったときに「コムラサキシキブ」と書いてありました。 ムラサキシキブより少し小粒?? 

indigoさんも同じなんですね。 無心で動ける労働が、心の隙間を埋めてくれるときってありますよね。

ふだんは掃除はあまり得意ではないのに、悲しいときは無性にタイルやガラスを磨いたりしたくなります。


免疫力アップへのエールをありがとうございます!
野菜をいっぱい食べられる温かい料理を作ったり、早足で歩いて身体を暖めたり、お風呂にゆっくりつかって足の裏をもんだり。 一気に元の生活に戻そうとしても無理があるので、焦らずゆるゆるな毎日を送っています。

2014/11/18 (Tue) 00:38 | vogel #9JN9NMwM | URL | 編集

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