小鳥のように生きてもいいじゃない 小川洋子「ことり」

単行本を買おうかどうしようか、さんざん迷って買わなかった小川洋子の「ことり」が文庫本になっているのを本屋さんみつけて即購入しました。 

小川洋子の小説にしては珍しく設定はかなり普通。 先日感想を書いた「羊と鋼の森」同様に(あるいはそれ以上に)とても地味でほとんど起伏のない話なのですが、”生きる”ということに真正面から取り組んでいる点で、これはまぎれもなく文学。 読んだ後にじわじわといろんな感情が湧きでてきて、人生について深く考えさせられました。 「羊と鋼の森」はこの本の直後に読んだため、よけいに物足りなく感じたのかもしれません。

7.6小川洋子ことり

古い一軒家で孤独死しているのを発見された初老の男は、近所の子どもたちに「ことりのおじさん」と呼ばれていた。 ほとんど誰とも関わらずに一人で生きていた「おじさん」の人生とはいったいどんなものだったのか--。 愛情深い母親さえも理解できない謎の「ポーポー語」をある日突然話し始めた兄と、その兄の言葉を唯一理解できた弟。 小鳥を愛し、小鳥の言葉がわかる(と弟の目には映る)兄を弟は子どもの頃から大切に思い敬愛していた。 両親亡き後、兄との生活を支えるために弟は地味な仕事に就き、二人きりでひっそりと暮らし続けていた。 やがて兄が亡くなり、一人になったおじさんは…。 芸術選奨文部科学省賞受賞作品。

単純化していえば、障害者の兄とそれを一人で支え続ける弟=中年の兄弟の話であり、後半は孤独な初老の男に降りかかる理不尽な苦難や、他人とのごくごくかすかなふれあいの話です。 華々しいことなど一切なく、誰からもほとんど顧みられることもなく、何かを達成することもない一生。 世間の片隅で静かに生きて、一人静かに世を去った「ことりのおじさん」。 端から見れば、お兄さんは障害者施設に託して、弟は自分の人生を歩むべきと思われる状況ながら、兄との静かな生活を守ることが弟にとっては人生の第一義で、そのことにみじんの疑いも感じていない。

もどかしいほど受動的な生き方。 他人の目には何もいいことがないようにみえる「おじさん」の人生だけれども、本人は決して不幸ではなかった。 閉じた生活、昨日と今日と明日に何の変化もない単調な毎日を重ねていく、そのことに充足していて、人生にたくさんのものを求めていない。 そういう人生は無意味なのでしょうか?

7.31雷雲とツバメ

著者はおじさんの人生を小鳥の生き方に重ねていると感じました。 6月20日の「”いま”を生きる」で書いたように、人間も小鳥や動物のように”いま”という瞬間を積み重ねるようにして生きたっていいんじゃないかと思っていたところだったので、あまりにも自分に考えていたことに似たテーマだったことにちょっと驚いたりもして。 「ことりのおじさん」に優しく寄り添いつつも、修飾語などをあまり盛りこまずに淡々とした筆致で語られる人生に引きこまれ、たいした事件もないのに一気に読み終わりました。

「あなたはラストに必ず涙する」みたいな本が好きな人にはおすすめできませんが、安直でない、こんな小説もたまにはいいんじゃないでしょうか。


バセドウと乳腺の経過観察で週に2日も通院したり、その間に特急仕事が食いこんだり、兄の事件を思い出させるような陰惨な事件があって、ものすごく嫌な気分になったりして、先週はなかなかブログを書く時間も気持ちもありませんでした。 やっと落ち着いたので、ようやく読書記録をアップ。 他にも読了した本があるんだけれど、それはまたそのうちに。

Category: 小川洋子

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する