美しいものへの情熱 「没後50年 河井寛次郎展」+「院展」

前から行きたいと思っていた「没後50年 河井寛次郎展」と「院展」の招待券を入手できたので、日曜日は美術鑑賞友だちMさんを誘って一日どっぷりアートに浸ってきました。 一日に二つの展覧会をハシゴするのはなかなかにハードなのだけれど、工芸品の鑑賞は絵画ほど疲れず、充実した楽しい一日となりました。

まず「没後50年 河井寛次郎展」@JR京都伊勢丹(~10月23日)へ。 ふたりとも民藝運動の手仕事が大好きで、Mさんは特に河井寛次郎、私は濱田庄司がお気に入り。

10.3河井寛次郎展パンフレット

今回の展覧会では、山口大学所蔵の寛次郎のごく初期の作品が初めて学外で展示されているそうです。 30歳頃までにさまざまな釉薬や技法を試していて、いずれもすでにすばらしい完成度。 昔は今よりも焼成に時間と手間がかかったでしょうのに、目を見張るほどのバラエティ豊かな焼物を作っていることに、焼物がおもしろくて仕方がなくて次から次へとやりたいことが湧いてでてくる感じが伝わってきました。 辰砂(赤い釉薬)も鉄釉(黒)も緑釉も呉須も、掻き落としもスリップウェアも三色打薬も練り土のマーブル模様も…100%思い通りにコントロールできない土と火から自在に創作している寛次郎。 そのほとばしるような創作熱に圧倒されます。

例えばパンフレットの筒描(チューブから粘土を細く搾って土手を作り、その中に色の違う釉薬を注す手法)だって、清水焼では極めて繊細な手法として使われているのに、寛次郎にかかるとなんとダイナミック! その上、この花器(?)も実は口が三角形だったりして、戦後は歳を重ねるほどに作風がどんどんアバンギャルドになっていく。 トーテムポールみたいでもある抽象的な造形の木彫作品もたくさんあったけど、やっぱり陶器がいいな。

10.3河井寛次郎展パンフレット2

今回の展覧会では寛次郎の言葉がたくさん散りばめられていて、それがとてもよかったので迷った末に文庫本「火の誓い」を購入(文庫本なのに1100円+税!)。

10.4河井寛次郎 火の誓い

特に、展覧会の冒頭にあった「過去が咲いてゐる今 未来の蕾で一杯な今」が胸にしみました。 そう、人間はいつも「今」を生きているんですよね、寛次郎さん。 過去や未来にとらわれず、今、この瞬間をしっかり味わって生きよう。


10.3コムラサキシキブ


午後は「第101回 院展」@京都市美術館(~10月9日)へ。 会期真ん中だから、日曜でも会場が空いていてゆっくりみられました。 一時期、高島屋でやっていたけど、やっぱり「院展」は京都市美術館が落ち着いていい。 純粋芸術はデパートの猥雑な空間とは異質だと思う。

最近の出品作は作風も題材も色合いもいろいろあって楽しめました。 とても暗い濁った黒とグレーだけで廃屋やら都会の構造物を描いた日本画が流行っていた頃は「日本画の良さがどこにもない!」と、「院展」を観に行く気持ちが薄らぎましたが、やっとそういう流行が落ち着いたみたいでホッとしました。

Mさんも私も一番気に入ったのは、田渕俊夫「飛鳥川心象 春萌ゆ」。 墨絵で淡く描かれた田園風景の桜並木から、はかない桜の色がたちのぼってくるようでステキでした。 総理大臣賞受賞の村上裕二「気」、富士山を真正面から描いた下田義寛「早暁 シバザクラ」も日本画ならではの表現でよかったな。 文部科学大臣賞の大野逸男「信仰の道」は好きとか嫌いとかを超越して、何かすごい気配をまとっていて、絵の奥のほの暗い杉木立の中に何かの気配が宿っているようで強く印象に残りました。  こういうのは絵じゃないと表現できないこと。 大きな木の根の陰に2羽の鳩が身を寄せ合う、河本真里「雨宿り」も私は好き(もう少しメリハリあったらもっと好き)。

同人の作品はココでみられます。 余談だけれど、ネットで検索していて村上裕二が村上隆の弟と知ってビックリ。 へぇー、兄ちゃんに似ず、純粋芸術に真正面から取り組んでいるんだ。


美しいもの、自分だけの表現へのとめどない情熱に触れられて、凡人の私の精神もリフレッシュできました。 手から生まれるものは、みる人の心を落ち着かせてくれます。 Mさん、一日たっぷり付き合ってくれてありがとう!
Category: 展覧会

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する