抗がん剤最終投与から丸2年 元気です

10月20日で抗がん剤治療の最終回から丸2年が経ちました。

抗がん剤治療を受けていたときはお先真っ暗、1年後の自分もイメージできなかったけれど、2年生き延びられました。 最近では東京オリンピックのことを聞いても、治療中のように「それまで生きていられるだろうか」とヒリヒリするような切実な感じは薄らいで、漠然とそのときも生きていることを前提に物事を考えている自分がいます。 そして、そんな自分に気づいて、ずいぶん病抜けしたものだと安心したりして。

10.15琵琶湖

人は誰も自分がいつまで生きているかはわからない。 それはがんに罹患した人も、いま現在自分は健康だと思っている人もまったく同じ。 ただ、健康だと思っている人は自分が死ぬことを具体的にはイメージしない。 「終活」なんていって、なんだか楽しそうにやっている人たちもそれは同じ。 がんだと宣告されると、「自分の死」が視界のすべてを覆うほど目の真ん前に突きつけられた気持ちになります。 その生々しい感覚は体験してみないとわからない。 「死ぬ気でがんばる」なんてことは、死ぬ気がしない人にしか言えない台詞。

治療中は目の前にずっとぶら下がって視界を遮っていた「自分の死」。 それが治療が終わると、時間の経過とともに少しずつ遠ざかっていきます。 意識の中から消えてはしまわないけれど、自分は健康だと思っていた頃のように「生きているのが当たり前」な感覚に近づいていくようです。 抗がん剤の辛さも、脱毛したときの悲しさも、死を意識してのヒリヒリするような切迫感も薄らいでいく。 生物としてそれが健全なんだと思います。

明日が来るかどうか、本当は誰にもわからないのだけれど、何の根拠もなく明日も今日と同じようにやってくると思えるようになった自分にホッとしています。

10.20キンモクセイ

去年の今頃は帯状疱疹になったり、その前からバセドウ病を発症していたり(たぶん)、まだ身体的にしんどかった。 バセドウ病とわかっていなかったから、異常なほどの倦怠感や激やせ、血液検査結果の異常な数値に「再発したのでは」と心底びびりましたが、不調の原因がはっきりして治療を受けて、今は本当に普通に元気になりました。

抗がん剤の副作用はほとんど何も残っていません。 脱毛した後に生えてきた髪の質が変わったとか、まつげが短くなったとか、足の爪の黒ずみがまだ一部残っているとか、足の甲が色素沈着して黒いままだとか、細かいことはあるけれどたいしたことではありません。 あえてあげるなら、点滴をした右腕の血管が今もまだ硬いことくらい。 といっても、重い荷物も平気で右腕でもてています。 バセドウ病になったのは抗がん剤の後遺症のようですけど(たぶんもともと甲状腺に多少問題ありの体質で、弱いところにしわ寄せが来たのだと勝手に思っています)、薬でコントロールできるものなので大丈夫。 自由に動き回れるだけでも本当にありがたいことです。

トリプルネガティブ乳がんの再発率が高い3年間を越えるまで、あと1年。 まずは3年生き延びるのが当面の目標です。

10.20白のホトトギス

自分が無事でホッとひと息つけたはずなのですが、半年前に肺がんがみつかったものの無治療を選択した叔父が間質性肺炎とがんのリンパ節転移で体調が急変し、叔母は非常に厳しい余命宣告を聞かされたそうです。 こんなに早く悪くなるなんて…。 お願いです、もう少し猶予をくださいと天に祈ることしか私にはできません。 無治療についてはいいたいことがいっぱいあるのだけれど、今は叔父の選択を否定したくないので何もいいません。 叔父と叔母にとって今晩が安らかでありますように。

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