余命なんて誰にもわからない

10月半ば、突然呼吸苦に襲われて緊急入院した叔父。 主治医は「最悪の場合、1週間、あるいは月末までもつかどうか」、そんな厳しいことを叔母に告げたそうです。 本人は肺がんがみつかった時から主治医に対しては「何も知りたくない、治療で苦しみたくない、放っておいてくれ」というスタンスだったので、面と向かってはいわれていないようだったけれど。

母と私がお見舞いに行った時にたまたま主治医が病室に来て「ご本人のご希望にしたがって、これからは苦痛をなるべく感じないようにしていくことに力を注ぎます」というようなことを、叔父のベッドの横で私たちに向かって話されました。 ごくサラッと、ここでこれから行われるのは「治療」ではなく「緩和ケア」だけなのだと、この人は結構ハッキリ言っているのだなと主治医の無表情な顔を見ながら感じました。 治療を拒んできた叔父でしたが、呼吸苦に陥ってからは放射線治療でがんを少しは抑えられるのではないかと期待しているみたいに叔母経由で聞いていたので、叔父は主治医のその言葉だけで自分が思っている以上に状態が悪いのだと悟っただろうと思います。

医療者としては、後で責められないように本人と家族の意思をしっかり確認しておかないといけないのは当然のことなんでしょうけれど、なんとなく冷たい気がしました。 お医者さんとしては「こんなになってから、いまさら…」って感じなのかもしれません。 お医者さんが冷たいから叔父が治療を拒んだのか、叔父がかたくなだからお医者さんが冷たくなったのか、どちらが先だったのかは誰にもわかりません。 主治医との間に信頼関係がないまま、みてもらっている叔父。 そのことがとても悲しかった。


10.31野紺菊

でも、叔父は余命宣告より生き延びられています。

一昨日、叔父と電話で話をしました。 2泊3日の一時退院から病院に戻ったところだったようで、思っていたよりもずっとハッキリ機嫌良さそうに話してくれました。 入院した時は1週間くらいでどうかなりそうだと思ったけれど、来年の77歳の誕生日まで生きていられる気がしてきた、と。 これからの寒さ対策に寝袋を買えばリビングでもごろ寝できるかもとか、明るい声でまだあきらめていないと。 「当たり前よ、自分を信じなくちゃ。 結局は自分の生命力が大事なんだから」とかなんとか、そんなことを私は叔父に言ったんだったかな…。 何をどう言ってあげればいいのか、正解なんてないんでしょうね。 がんサバイバーとして、普通の人よりは死を意識していると思うけれど、病臥している叔父にかける言葉がみつかりません。

叔父は朗らかだけれど、実は人にとても気を遣うタイプ。 だから、心配させまいとよけいに朗らかにいろいろしゃべっているんじゃないかと思えて切なかった。 こんな調子で、個室に寝泊まりしている妻にも、留守宅を守っている娘一家にも、一生懸命明るく振る舞っているんだろうと、叔父がどんな顔をして笑っているかまで見えるようです。 叔父よりずっと若い、優しくて泣き虫の叔母が涙をこらえながら叔父に合わせて一生懸命朗らかにしている様子もありありと目に浮かびます。

余命宣告するときに、お医者さんは必ずかなり短めに言うと聞いたことがあります。 言っていたより早く亡くなると遺族から責められる恐れがあるし、言っていたより長く生きていると「先生のおかげで」と感謝してもらえるから。 結局わからないのに、なぜ余命宣告なんてするんでしょう?


10月後半は珍しく仕事がいい感じに忙しかったのですが、それも月末で終了。 仕事をしながらも、ずっと叔父のことを考えていました。 いつかは私の身にも、誰の身にも起こること。 私だったら、どうして欲しいだろう。

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