生きとし生けるものへの共感 相国寺承天閣美術館「若冲展」

木曜日にみた「若冲展」はものすごい混雑で人いきれと熱気で汗まみれになりましたが、それでも本当にすばらしかったです。 若冲の絵があまり好きでないワタシも、全30幅の「動植綵絵(どうしょくさいえ)」に描かれた世界には感動しました。「釈迦三尊像」3幅を中心にして「動植綵絵」が両側にずらっと並べられた全体の様子を、部屋の中央に立って眺められたらどんなにすばらしいだろう…と思いました。 もちろん実際には人が多すぎて、そんなところに立っても何もみえませんけど。

青物問屋の家業を弟に譲り、絵の道を選んだ若冲は相国寺の僧侶のもとで深く仏教に帰依したそうです。 禅を学ぶ中で、亡き家族と自分の永代供養を願い、10年かかって描きあげた33幅の掛け軸を相国寺に寄進。 ところが、明治の廃仏毀釈で相国寺は荒廃してしまい、お寺を再興するために1万円と引き換えに「動植綵絵」30幅は皇室に納められたのだとか。 本来はワンセットのはずの「釈迦三尊像」と「動植綵絵」がバラバラになってしまったのは、この33幅で仏教世界を描ききった若冲にとってはちょっと気の毒な気がします。

5.24若冲1


「動植綵絵」を通して、あらゆる生き物に仏性が宿っていることを伝えようとした若冲の想いは、ぼんやり眺めるだけでもはっきりと伝わってきました。 濃密にして細密な、そしてある部分は驚くほど大胆な筆運びで描かれた絵の中では、ゲジゲジやムカデ、ミミズを引きずる蟻でさえかわいく見えるのです。 若冲は「動植綵絵」を描いていて、ほんとうに楽しかったのだろうと思います。 「群魚図」の蛸なんてかわいすぎて、絵の前でニヤニヤしてしまいました(不気味?)。 鶏以外の生き物は、どちらかといえば漫画的…などと言ったら叱られるでしょうか。

5.24若冲4


ふだんは美術展を鑑賞した後は目も足もとても疲れるのに、今回は満員電車並みのギューギュー詰め状態でみたのに疲れませんでした。 それは、描いた人の喜びと仏教的なテーマのためかもしれません。 若冲は寄進するときの添え書きに、この絵を描いたのは自らの絵の腕を誇示するためではなく、ただひたすらに仏教への想いからだったと記しています。 「自分の絵を評価してもらいたい」という気持ちは、絵を描く人なら誰でも多かれ少なかれ胸にあるはず。 そういう自我の発露は絵の後ろから目に見えないオーラとなって鑑賞者に働きかけ、ワタシのような軟弱な鑑賞者を疲れさせるのでは…と常々思っています。 今回、不思議なほど疲れなかったのは、それだけ若冲が無心で描いたということなのではないかしら…などと勝手に解釈したりしました。

5.24若冲3


それにしても、若冲の絵はシュールレアリズムそのもの。 隅々まで細密すぎて、写真でいえば全ピンの(=全部にピントが合っている)絵を前にして「そんなはずないでしょ!」と突っこみを入れたくなりました。 それに独特の浮遊感もシュール。 たとえば鮎が泳いでいる「蓮池遊漁図」はとってもヘンな画面構成です。 水の中と外が渾然一体となっていて、蓮の花はまるで水中花。 なのに、そのことで絵をみているコチラまで地から浮き上がっているような浮遊感を醸しだしていて、それが妙に心にひっかかる。 描こうと思えばどれほどにでも写実的に描けたでしょうのに、あえて外しているとしか思えません。特に、白と黒の軍鶏がにらみ合う「棕櫚雄鶏図」は棕櫚の気持ち悪いような表現と相まって画面全体が異様なほどに張りつめていて、好き嫌いを超越してスゴイ作品です。こんな前衛的な絵を江戸時代に描いたなんてホントに驚き。でも、ワタシの好みはおとなしめの「池辺群虫図」です。

5.24若冲2


たいてい展覧会をみた後で図録を眺めると「色が全然違うな」とガッカリするのですが、今回の図録はそういう感じがまったくありません。 高度な美術印刷の技術を駆使していることももちろんあるのでしょうが、若冲の絵が赤・白・黒を中心にした、とてもどぎつい色づかいだからかもしれません(そんなところも人気なのか?)。 色を鮮やかに際だたせるために裏からも彩色するなど、表面からはわからない緻密な計算に基づいて作成された作品なのだそうです。 そういう解説も詳しく載っているし、印刷の色調もなかなかいいので、今回の図録はお買い得ですよ!

5.24若冲図録


ところで、fc2のblog9サーバーがものすごく重くて、昨夜からまったく書きこめません(怒)。どうなってるんでしょう…また消えたりして(ゾッ)。 fc2ユーザーのみなさん、面倒でもバックアップはマメにとっておきましょう。 そんなこともあって、写真のアップはあきらめました。 また後日、サーバーが安定したら写真を付けますね。
Category: 日々の記録

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