底知れぬ沼のようなエッセイ 杉本秀太郎「京都夢幻記」

昨日も引き続き「早起き生活」を夢見て比較的早くに寝床に入ったのに、寝苦しくて…寝つかれないのなら、いっそ読みかけの本を読み終えてしまおうと、早朝4時に杉本秀太郎の「京都夢幻記」を読みました。 やっと読み終わった!という満足感で夜が明ける頃に眠くなり…早起き生活は夢と消えて、寝起きからガックリ。 いっそ、あのまま寝ないで4時から起きていたらよかったのかなあ。

6.15京都夢幻記

どんより曇った梅雨時の空のように重苦しいエッセイを読み終えて、なんだか骨の折れる仕事をひとつ終わらせた気分です(ちゃんと仕事しないとダメなんだけどな)。 内容はほの暗い表紙の雰囲気そのまま。 冒頭のエッセイにあるとおり、沼の中から脈絡なく浮かんでは、つかみとる前にふっと消えてしまう想念を、その浮かびあがってくる感じのままに書いたといった風情のエッセイです。 古今東西の文学や音楽、歴史に深い造詣のある著者の筆は、ふっと謡を語るかと思えば、ゆらりとクラシック音楽へと向かい、フランス文学の詩的表現に傾き、実家に伝来していたものに似た一幅の名画に対峙する…混沌としたような文体から、著者の教養の高さと実家のすごさがイヤというほど伝わってきます。 でも、それは一般庶民にはほど遠い別世界のこと。 美文なのかもしれませんが、ワタシにはついていけません。 もともと、この著者はワタシのような雑魚は相手にしてらっしゃらないようですけどね。

著者は四条烏丸にほど近い、京都のど真ん中に今も残る巨大な町家の当主にして、仏文学者。 商家の構えが生半可ではなくて、前を通りかかるたびに「この格子の向こうには、何か常ならぬものが棲んでいそう」と思ってしまいます。 昔テレビで、この家の襖を片付けて、夏のしつらえにする様子を見た記憶があるのですが、蔵から出し入れされる襖の数と、その手入れを想像しただけで気が遠くなりそうでした。 ホントに庶民でよかったと思いましたよ。 それだけの家に生まれ育つことは、庶民には見当もつかないほどの重いもの(それもけっして放って逃げ出せないもの)を背負って生きていくことなんだろうなあ。 しんどいやろなあ、と最後は同情してしまったほどスゴイ家なんですよ。

6.15アジサイ

この本は、文学系のお仕事をされている非常にインテリなおばさまからいただいた、というか押しつけられたもの(笑)。 このおばさま、ワタシがいろんな本を読んでいるのを知ってられて「読んでおもしろくはあったけれど、でも本棚に置いておきたくないからあげる」と無理矢理くれました…「読み終わっても、絶対に返さなくていいからね」と念押しして。 最後まで読んで、その方の気持ちがよ~くわかりました。 リアルお知り合いのみなさんの中に、杉本家のことが知りたい方がいらっしゃったら差し上げたい…これを読んだからといって杉本家に関する直接的な知識が得られるわけでは全然ないんですが。 2000円もする本ですよッ、いかが!(笑)と、愛着のかけらもない本です。

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