続編は必要だったのか? スザンナ・タマーロ「わたしの声を聞いて」

スザンナ・タマーロの「心のおもむくままに」は一生大切にしたいと思うほど好きな本です。 その後、タマーロの新作を心待ちにして次々に買ったものの、「心のおもむくままに」のようにピタッとくる作品には出会えないまま、すっかりご無沙汰していました。 先日、ひさびさに本屋さんに行ったら、店頭に「心のおもむくままに」新装本と並んで「『心のおもむくままに』待望の続編」と銘打った新刊をみつけました。 「心のおもむくままに」はあれだけで完結している作品だと思っていたのに。 葛藤の末、買って帰りました。
 
11.5わたしの声を

読んでみて…う~む、期待していたものとは全然違いました。 「わたしの声を聞いて」を書く必要はほんとうにあったのだろうか? タマーロ自身も「心のおもむくままに」は完結した作品だとして、続編を書くことに乗り気ではなかったと、訳者のあとがきにありました。 読者の要望に応えて書いたそうですが、前作が大好きだった読者にとって、この本は蛇足だと感じました。 前作が好きな人にはおすすめしません。

祖母の視点から語られる娘世代との断絶、そして冷たい葛藤を経てもなお静かに娘の全存在を受け入れて生きていく物語が、非常に繊細な言葉で紡がれていた「心のおもむくままに」。 寄る辺のない心細さを抱えながらも、人はひとりきりでも前に向かって生きていくものなのだという温かなメッセージが心にしみました。 続編となる「わたしの声を聞いて」は孫娘の視点から語られます。 反抗期で祖母の想いに背を向けていた主人公は、唯一の肉親であった祖母を亡くして…。 幼い子ども時代に喪った母の足跡を探し、誰かもわからない父を求める孤独な心の旅が始まります。

「心のおむむくままに」以外の作品に対して抱いた不満と同じ展開でした。 傷ついた子どもの視点で語られるタマーロの作品には、「心の…」にあった人生に対するひたむきさや肯定感が足りないように思います。 傷があまりにも深くて「なぜ私は生まれてきたのか?」という問いにこだわり続けているのが、読後の爽快感を削いでしまうみたいです。 「わたしの声を…」後半にあるイスラエルへの旅の部分は、小説というよりもほとんどエッセイ。 ホロコーストや宗教への根元的な問いかけは、適当な宗教でのんきに生きている日本人(少なくともワタシ)には共感しにくいです。 それにしてもタマーロもユダヤ人なのか…ユダヤ人って何?

11.5馬酔木の蕾

馬酔木の木をよくよくみたら、なんと蕾が! 来年の春に咲くために、もうこんなときから準備しているんですねえ。 きれいな花はほんの一時期だけれど、その前にみんなが気づかないところで長い時間をかけて蕾を抱えて過ごしているなんて。 植物を見習いたい。

次の読書はpiaaさんのレビューに刺激されて恩田陸。 前からずっと気になりつつ、まだ読んだことのない作家です。 ぶあついからしばらく楽しめそう。

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