伯母をおくる

お盆が明けてすぐ、伯母が彼岸へ旅立ちました。 90歳でした。 彼岸へ帰るお精霊さんに手をひかれて三途の川を渡ったのでしょう。 あちらで、恋しかった顔も知らない生母に無事会えたかしら。

父より9歳年上の伯母は、まだ1歳になるかどうかという頃に生母を亡くしました(父は後妻の子)。 もともと胸を病んでいた先妻さんは、伯母を産んだことで体調を崩して寝こんでしまい、そのまま帰らぬ人となったそうです。 4歳くらいの長女と乳飲み子の次女を、古武士のような(つまり家事など、どこをどうしたらいいのか想像すらできない)祖父が育てられるはずもなく、先妻さんのお葬式の後すぐに、先妻さんのお兄さん(結婚したけれど子どもに恵まれなかった)が乳児の次女を養女として育てることになったそうです。 そこで実子と変わらず慈しんで育てられた伯母は、自分の実父方の遠い親せきと結婚。 ところが、まもなく第2次大戦が勃発。 戦地へ送られた伯母の夫は、戦後なんとか南洋から生きて帰ってきたものの、結局子どもには恵まれず。 東京大空襲で両親を失って、たまたま生き残った乳飲み子(その子の両親と親しかったそうです)を引き取って育てたのです。 伯母が育てた女の子は、大学に入学するための戸籍謄本を自分でとりにいくまで、母親と血のつながった親子でないなどと想像したことすらなかったと聞きました。 伯母はずっと娘夫婦と同居していて、最晩年は恍惚の人になっていましたが、最期まで娘夫婦の世話になりました。

8.19藪蘭

東京に住んでいる伯母と顔を合わせたのは、法事のときくらい。 でも、9歳下の腹違いの弟である父を異様なほど溺愛してくれているのを、子どものころからうっすらと感じていました。 ふつうよりもずっと複雑な人生を歩んだ伯母ですが、愛されることも愛することの意味もよくよく知っていて、たくさんの愛情に恵まれた人だったのだと思います。 戦地で体を壊した夫の代わりにバリバリ働き、まわりの人を愛することにもエネルギッシュでした。 遺伝子にこだわり過ぎて代理出産までさせてしまう風潮を空しく感じるのは、そんな伯母の人生を知っているからでしょうか。

快活で明るくておしゃべりだった伯母さん、きっと今頃はあちらで、こちらの最新情報をいろいろ披露しているんだろうな。
Category: 日々の記録

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